ГОТОВ ЈЕ!
─ポスト国民国家とポスト小説
  
「私はあなた方に超人を教えよう。人間は克服されるべき何ものかである。あなた方は人間を克服するために、何をしたというのか?
 これまでの存在はすべて、自分自身を乗り越える何ものかを創造してきた。あなた方はこの大きな上げ潮に逆らう引き潮になろうとするのか、人間を克服するよりも、むしろ、動物に引き返そうとするのか?」
「人間は、動物と超人の間に張り渡された一本の綱なのだ、──深遠の上にかかる綱なのだ。
 渡るのも危険であり、途中にいるのも危険であり、振り返るのも危険であり、身震いして足をとめるのも危険である。
 人間における偉大なところ、それは彼が橋であって、自己目的ではないということだ。人間において愛するべきところ、それは、彼が移り行きであり、没落であるということだ」。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』
  
 バブル経済崩壊後における日本の文学者が抱く最大の関心事の一つは、文学が風景から断絶された状況に対して、いかに対処するかであろう。日本近代文学における諸問題が、別の姿で蘇ってきたのも、その表われである。坪内逍遥の『当世書生気質』以来、日本近代文学は、定期的に、若者風俗に接近してきたが、『文芸』が渋谷や新宿といったよりストリート文化に根ざした若者の文学を「J文学」と命名し、意識的にとりあげている。また、一九九五年に起きた阪神大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件をきっかけとして、政治と文学、あるいは文学者の社会・政治参加が、田中康夫を代表に、党派性から離れて実践されている。さらに、純文学とエンターテインメントの境界が曖昧になり、クロスオーバーしている。一九九八年上半期の芥川賞と直木賞の受賞作家は、それぞれ逆の範疇に属していると思われていた。車谷長吉は純文学の作家であるのにもかかわらず、直木賞を受賞したというわけだ。しかし、この受賞は、五味康佑の『喪神』とは違い、論争にもならなかった。と言うよりも、先に触れた二つの問題にしても、論争を欠いたまま、受容された。
 文学者の間に論争がまったくなかったわけではない。「女流文学」はあっても、なぜ「男流文学」はないのかというフェミニストからの問題提起があった。しかし、残念ながら、フェミニスト以外からはほぼ黙殺された。それ以上に、最も沸騰した話題は、「第二次世界大戦と戦後をどのように把握するべきか」だったろう。この論争は、マンガや批評などを中心に、雑誌、新聞、果ては国会まで、激しく衝突し、今に至るまで続いている。
 だが、これらの論争にはあまり小説がかかわってこなかった。バブル経済の真っ只中、日本中に「自粛」の空気が覆い被さった。風景から断絶された結果、日本人は他者と直面することを避け、自粛を選んだ。それが現代小説の特徴の一つとなって表われている。
 自粛の雰囲気の中、顰蹙をかうことで有名になった福田和也の『作家の値うち』が話題になったが、純文学とエンターテインメント小説を同列に点数をつけて論じる手法は中上健次に由来する。日本近代文学の変容を敏感に感じとった中上は、昭和末期に始めた「文芸時評」で、作品に点数をつけた。文学賞やランキングも大衆の世紀らしい二十世紀的試みである。その後、渡部直己が、『電通文学にまみれて』において、○×式を採用し、絓秀実が『文芸時評というモード』で、二次元座標軸方式を使っている。日本近代文学が終焉した状況下で、『作家の値うち』は福田和也が真に文芸春秋的作家であることを証明しただけにすぎない。『文芸春秋』大正十三年十一月号に匿名で書かれた「文壇諸家価値調査表」という記事がある。項目は、百点満点で、学殖・天分・修養・度胸・風采・人気・資産・腕力・性欲・未来である。芥川龍之介の風采が九十点だから、その内容はだいたい読まずにわかることだろう。
 中上健次は、『文芸時評』において、「全て読み終えて、日本文学の水準の低さに唖然とした」と次のように述べている。
 
 中間小説の作家たちが、ひところ純文学を攻撃した時には、たとえ作物が地味で面白くなく難しくとも、中間小説の水増しの文章と純文学の正身の文章とは違うと思い、中間小説の作家たちは思い上がっていると反感を抱いたものだが、事態は違っていたのである。
 
 中上健次は、日本近代文学が形成してきた修辞法を一度解体し、自分の修辞法に読み替えて、作品の中で再構成することを行った作家である。この手法の力量では中上以上の作家はいない。従来の物語が基づいている風景がある。中上はその物語から風景を取り外して、自分の修辞法で書いた後、もう一度物語に組みこむ。こうすると、風景は今まで縛られていた意味から解放されて、多くの新たな意味を語り始めるから、従来の物語の風景とはまったく違ってくる。中上の多様性の秘密はここにある。
 ただ、この風景の読み替えの能力は中上が作家として活躍した時代に大きく負っている。中上は、六〇年代後半に小説家として知られるようになり、バブル経済の真っ只中まで、活動していた。日本近代文学が基づいてきた風景は東京オリンピック以降に変わり、バブル経済で消失した。中上は、この風景の変容の中で生き、それを最も感受した作家である。日本が経済的に世界の頂点を目指し、そして短期間ながら極め、衰退していくという中で、輝いた作家だった。中上のエネルギッシュさは高度経済成長期からバブルへと向うゼネコンに似ている。ゼネコンが変えていった日本の風景を描いてきた。中上の文章は建築と言うよりも、土木だった。戦後、土建国家と揶揄されながら、自民党や省庁、自治体と癒着し、莫大な公共事業費を確保して、ゼネコンは肥大化し、国土を急速に変えていった。けれども、バブルの崩壊後、ゼネコンは赤字を増やすだけの事業を残し、不良債権の溜まり場となった。中上は、その意味で、非常に時代的な作家だとも言え、今は、中上の行った修辞法の変更ではなく、文法の作り直しを迫られている時代である。
 日本文学を考える際、「昭和二十年代」や「昭和三十年代」と言っても、「昭和四十年代」とは言わない。東京オリンピック以降の都市化=均質化されていく時代には、「六〇年代」とか「七〇年代」のように、西暦を使う。と同時に、文壇も崩壊し、無頼派や第三の新人のような文学世代という文学的視点もとられなくなる。日本近代文学は日本における近代化=西洋化とつながっている。「大正文学」や「昭和文学」という区分はあっても、「平成文学」は、文学史では、使われないだろう。伊藤整が『日本文壇史』を書いているように、文壇の形成とその機能化が日本近代文学と言ってもいいだろう。日本近代文学における最後の文学世代は内向の世代であるが、彼らは内面に遡行し、アイデンティティの崩壊を具現している。日本近代文学のアイデンティティも、同時に、崩壊しつつあった。以降、文学の運動は日本国内の先行する文学世代に対する同時代的な反発というよりも、世界的な同時代性の共有に基づくようになる。東京オリンピック以降、個的アイデンティティから共同的アイデンティティの探求へ、あるいはアジアを代表とした非西洋への関心が増し、一九六八年、世界的に、学生運動が頂点に達する。ポスト構造主義が受容される中、一九七五年に中上健次が『岬』、翌年に、村上龍が『限りなく透明に近いブルー』を発表している。八〇年代に入ると、消費社会におけるポストモダニズムが連動してくる。八〇年に、村上春樹が『1973年のピンボール』、田中康夫が『なんとなく、クリスタル』を書き、八二年に高橋源一郎が『さようなら、ギャングたち』、八三年に、島田雅彦が『優しいサヨクのための嬉遊曲』を発表している。ポストモダニズムは世界的な都市間の同時代性に基づいた文学運動であるが、二十世紀が始まった一九二〇年代のモダニズムの動きと同じである。定期的に、都市の間で同時代性が働きつつも、各都市に独自性も生まれていくというのが二〇世紀の文学運動の主流だった。『ZYCIE』、(ウィリアム・モリスの書物芸術論から影響を受けた)ミリアムが編集していた雑誌『CHIMERA』を舞台に活躍したポーランド・モダニズムは、「若きポーランド」と呼ばれている。Wolno w Polsce, jako kto chce.モダニズムとポストモダニズムの間はほぼソ連の成立と解体の時期と重なる。八〇年以降、各文芸誌の編集方針が変わり、各誌とも、可能な限り、中篇以上を掲載するようになった。少々長くとも、気軽に、早く読める小説が主流になった。バブル経済が始まって以降、ポストモダニズムへの懐疑が唱えられる。吉本ばななが急速に売れ始める。東西冷戦構造の終焉とバブル経済の崩壊後、内向しつつも、作家の間で共時性が働くようになる。そして、都市の同時代性ではなく、インターネットに代表される個人間の共時性が文化的創造力となる時代に突入した。”Effect without a
cause, subatomic laws, scientific peace. Synchronicity” (The Police “SynchronicityT”).
と言うよりも、共時性は一つの共同幻想である。正確には、クール・メディアを通じた「同時多発性(All-At-Onceness)」(マーシャル・マクルーハン)が支配的になったのだ。二〇〇一年九月十一日、破壊的に、それがvisualとなる。
 バブル経済の始まりから現在に至るまでの間、伝統的諸問題の復活とは別に、最も売れた小説家は村上春樹である。村上春樹の小説における語りには、渡部直己も『不敬文学論』で指摘しているように、どうでもいいようなことが細部にわたって描写され、核心に近づくはずの具体的な記述が省略される特徴がある。これは黙説法と呼ばれる修辞法の一種である。語る側でなく、聞く側が相手の意をくみとって、具体性の欠ける話の内容を配慮して、理解しなければならないというわけだ。肝心なことが「自粛」されている。村上春樹は自粛を読者に強いるし、読者もそれを受け入れてしまっている。確かに、一九八八年以前にも自粛はあった。しかし、自粛の修辞法を使った作品がとびきり売れたわけでもない。バブル以降で、自粛の語りを特徴にした村上春樹が極端に売れ、同じ傾向を持つ作品が評価されている。芥川賞受賞作の語りを見てみると、全般的に、自粛の修辞法が働いている。小川洋子の『妊娠カレンダー』(一九九一)、川上弘美の『蛇を踏む』(一九九六)、辻仁成の『海峡の光』(一九九七)など数え上げればきりがない。それらの小説には、村上春樹の作品と同様、「何か」という言葉がやたらと出てくるが、これはマンガの影響だろう。日本の小説が変わったのは、日本が世界有数の経済大国と呼ばれるようになった一九八〇年になってからである。確かに、以降の小説には、村上春樹や吉本ばななを筆頭に、少女マンガの影響が色濃く反映されている。「Animanga」という言葉があるように、AnimeとMangaは文学以上に世界に受容されている。『ベルサイユのばら』に関して、「もんべるリンク集(http://monberu.milkcafe.to/html/link/link1.htm)」を経由すると、世界の関連サイトにたどりつける。これらに限らず、営利から離れ、自分の趣味を追求しているサイトは、妙な情熱が感じられ、ネットサーフィンしていると、ここは愛すべき「世界のバカ大集合」なのかと楽しくなってくる。一九八〇年以前の小説にも、マンガの影響はあったが、それはあくまで少年マンガからだった。日本の小説がマンガ的になり始めたのは、『限りなく透明に近いブルー』の村上龍からであり、顕著になったのは一九八〇年以降である。マンガも、バブル経済と東西冷戦構造の崩壊によって、変容を迫ら、依存していた社会的・歴史的背景の喪失により、その魅力を失っていった。一九八〇年以降の小説には、マンガというメディアを小説に置き換えることによって生ずる欠点が見られる。マンガは直接視覚に訴えられるけれども、作家が文学にはそれができないことを無視している。戦後マンガにおいて最もモデルになった人物はモシュ・ダヤンである。左目に黒パッチをつけている人物は、デビュー当時のタモリが真似ていただけでなく、最近でも、ありとあらゆるジャンルのマンガに登場する。ダヤンのような風貌はマンガにはもってこいなのだ。しかし、それを文学にそのまま適用させることはできない。また、日本は、旧市街というvisibleではっきりとした問題を抱えるエルサレムとは違い、多くの問題がinvisibleである。『女たちのジハード』というタイトルを目にして、サルマン・ラシュディ事件に対するムスリマを中心にした団体WAF(Women Against
Fundamentalism)の活動を思い浮かべても、まさか日本のOLの物語だと思うものは日本人以外はいないだろう。作家がinvisibleな問題をそれとして捉えることができず、「何か」を用いるかvisibleな問題を抱える地域へのイメージをろくに確認もせずに頼ってしまう。日本語において、言葉の意味はイメージである。
 日本のメディアにイメージが蔓延している状況は、元農林中央金庫職員で、長野県南箕輪村在住の有賀功による二〇〇一年十二月二十二日付『朝日新聞』の「私の視点」の次のような誌的が証明している。
 
 NHK朝の連続テレビ小説「ほんまもん」で、主人公がよき(柄の長い斧)で薪を割るシーンを見た。左手で柄の端、右手で柄の頭(金具の部分)に近いところを持って振り上げ、そのまま振り下ろす。これでは薪は割れない。ドラマでは、振り下ろしたところで映像が切れ、割れる薪だけを映したシーンにつながっており、迫力に乏しい。薪割りは劇中で主人公の精神修養の主要な手段になっているだけに、いっそう残念である。
 降り上げるときは、よきの頭が重いので、女性などの場合、片手で頭に近い方を持つしかない。しかし振り下ろすときは、むちで打つ感じでないと力が入らないので、振り下ろしながら頭に近い手を滑らせ、柄の端に両こぶしをそろえて打つ。それだけのことを練習し、1カットで格好よく薪を割る場面をつくるのは、そう困難ではないと思う。
 映画やテレビドラマで、鍬を使うというと、振りかぶって下へ打ち下ろすのが決まりごとのようになっている。荒地の開墾や田起こしはそれでよいが、柔らかい土に対しては、柄と鋭角をなす鍬を、上下ではなく前後に動かさないとうまく行かない。そもそも鍬を使うのは畝立てと草取りとか、何かの目的のためであるが、何をしようとしているのか分からない絵空事の劇中農作業が多い。
 見ていても美しくなく、楽しくない。目的にかなった、自然な、ムダのない、リズムのある動きほど美しいものはない。とくに農作業には、長い歴史の中で洗練された作業の型がある。それから外れると、いかのもぎこちなく、うそっぽくなってしまう。太刀つかいの型を教える殺陣師が一つの職業であるならば、農作業や山仕事の型を教える農林師とでも言うべき商売があってよい。
 
日本語による作品には、メディアを問わず、こうしたイメージがうんざりするほど出てくる。しかも、そうした作品が売れたり、評価されている。イメージは他者のいない世界でしか成立しない。日本のキリスト教文学に、キリスト教を感じさせないのも、同様の理由であろう。作家はキリスト教を自己嫌悪と自己憐憫を癒すもとして選んでいるにすぎない。日本人はキリスト教徒になっても、ユダヤ教徒やイスラム教徒にはならない。日本で、『תורה』の研究というと、キリスト教徒の目を通して行われる。ユダヤ教的に解釈されることはまったくない。しかも、キリスト教と言っても、東方教会に見られる単性論を支持するものは皆無である。正統派争いが激しいキリスト教は、それがゆるいユダヤ教やイスラム教が商業の宗教だとすると、政治の宗教であり、異端が勝利し、正統を駆逐してしまった仏教は美学の宗教であって、正統も異端も存在しないヒンドゥー教は論理学の宗教であろう。日本人は根本的に偶像崇拝であり、その信仰はエキスパート化もしくはスペシャリスト化した呪術である。柳田國男の宗教観は前者であり、折口信夫の場合は後者だと言える。自粛はこうしたイメージの支配する言説空間に発生するのであり、村上春樹的な表現の作品が受け入れられる理由もここにある。
 マンガだけではなく、現代の小説の文章は整理はされているものの、密度が小さく、テレビの画面のようになっている特徴も見逃せない。これは、テレビの画面をパソコンの画面や映画のスクリーンと比較すれば、明瞭になる。パソコンでは、ある画面から次の画面に移行する際、時間がかかってしまうため、一つに画面に、できる限り、情報をつめこむ必要がある。一方、テレビの場合、一つの画面に伝えたい情報を一つだけに絞り、その代わり、次々と画面を入れ替えることで一定量の情報の流通を行う。テレビのほうが、だから、パソコンの画面に比べると、送り手主体である。さらに、暗い映画館の中で、ほとんどの場合、知らない人と、時には笑いや涙はあるものの、無言で見る大画面の映画は、街頭テレビもあるけれども、明るい部屋の中で、一人もしくは知っている人と、時には会話をしつつ見るコンパクトな画面のテレビとは違う。映画の場合、暗い内容や心理的奥行きを扱えるし、俳優には全身像に映え、多少なりとも非日常的な演技が要求される。「これまでの封建制度や身分制度を、人間を抑圧していた闇というふうにとらえるとすれば、近代はそこに電灯を灯して、人々を白日のもとに押し出した。そのことは、私たちを自由にしたけれど、闇はそれで消え去ったわけではなく、一人ひとりがそれぞれに、胸の内に抱え込んだだけのことだった。映画はだから暗闇で見る。みんながその暗闇を持ち寄るからだ。バラバラになって孤立した私たちの時間を、映画はもう一度、架空の関係的な世界で現すものだ」(小栗康平『映画を見る眼』)。他方、テレビでは、暗い内容は避けられ、表層的なとらえ方が歓迎される。伝説のコメディ映画『フライングハイ』の監督ジム・エイブラハムズがABCのテレビ・シリーズ『フライング・コップ』を製作し、出来はよかったものの、視聴率が伸びず、六週間で打ち切りになってしまう。監督は局の社長から失敗の理由は画面を見なければならないようにしたからだと言われている。テレビは、映画と違い、散漫なメディアであり、隣の部屋にいて音声だけでも、話がつかめるようにする必要がある。俳優にはアップの映りがよく、曖昧な感じのする日常的な演技が求められる。フィルムからビデオを使うようになってからは、それが顕著である。映画も、フィルムに代わって、デジタル・ビデオが主流になっていくと予想されるが、フィルムに近い画質を求められているので、テレビのようにはならない。日本で、テレビがたたかれるとき、それが番組内容ではなく、メディアの特性から生じる問題であることも少なくない。BBCの場合、インタビューなどでは、背景を黒にして、暗い内容や心理的奥行きを扱えるように心がけているけれども、この効果は日本の番組にはあまり見られない。第四次中東戦争、別名ヨム・キプール戦争へ従軍した体験に基づいて撮った『キプールの記憶』のアモス・ギタイ監督は、「映画はハンバーガーのように、皆に好まれる作品であるべきではない。対象との間に対話をつくるメディアだ。敵国の人々がこの映画を見て、どう受けとめるかを考えた結果なんだ」と言っている。けれども、彼は「社会派」と呼ばれることを拒否する。「イスラエルはニュース映像で、いつもその場限りに描かれてしまう。しかし、テレビと映画は違う。政治的メッセージでなく、映像を使った考察のために映画を作る。雑誌と書籍との違いとでも言えようか」。アモス・ギタイは、当時、イスラエル軍の負傷兵を病院に運ぶ後方支援部隊に配属され、搭乗したヘリが撃墜された経験を持つ。「戦場には絶望しかなかった。助けても、助けても兵士は死ぬ。徒労感がおりのように溜まる。銃の音はノイズにしか聞こえない。言葉も最小限になる。感情がどんどん削げ落ちる」。
 テレビの画面的であること自体が問題なのではない。テレビの画面を最も体現しているのは浅田彰だろう。『構造と力』や『逃走論』といった著作だけでなく、『アルチュセール派イデオロギーの再検討』といった本格的な論文も書き、浅田彰ほどの知られた名前を持ちながら、本格的に論じられることが少ないのは、「浅田彰」を論じる際に、従来の方法論が通じないからである。浅田彰の最大の能力は物事や出来事のチャート化である。その出来栄えは、いつも、理想のテレビの画面のようだ。浅田彰の「方法」はこの点にある。森毅は、『数学の歴史』の中で、十七世紀は「原理の世紀」、十八世紀は「事実の世紀」、十九世紀は「体系の世紀」、二十世紀は「方法の世紀」と命名している。森毅は、数学の歴史に適用しただけだが、これは文学の歴史にも、倫理の歴史にも、すべての西洋の歴史にあてはまる。浅田彰はチャート化の理論家であり、チャートという「方法」の可能性を提示するという新たな倫理性を具現している。
 村上春樹は、方法に関して無自覚であり、浅田彰が持っている倫理性を欠いている。彼の作品では個々の人間の差異はそれぞれのパーソナリティや嗜好にのみ還元され、社会的・歴史的背景は無視される。これが体言しているのは「思春期」であり、この欠点自体がgrowing painsであるという見方も確かにできる。村上春樹の作品は自己嫌悪・自己憐憫に満ち溢れ、それを共感できる人が評価するのであって、今の時代をその意味で最も表わしているとも言えるだろう。体現しているからいいのではないか、こういう人々や読者もいることも認めなければならないという評価が導き出されるかもしれない。けれども、村上春樹が用い、それに共感している読者が媒介している「言語」は社会的・歴史的産物である。言語は村上春樹とその読者だけのものではない。村上春樹の小説には他者を排除し、世界は自分のものだという意識が見られる。せめて小説の中くらい、世界を自分のものにする幻想を認めて欲しいという意見もあるかもしれない。しかし、小説も社会的・歴史的産物である言語で書かれる以上、それも社会的・歴史的産物の一つにならざるを得ない。言語表現をするとき、作家は言語を操っているかに思えても、言語に支配されていることに気がつき、その支配と戦っている。しかも、村上春樹は『アンダーグラウンド』というルポルタージュでさえ、実在しない投書に言及している通り、恣意性を持ちこむ。方法を無視するのだ。村上春樹には、自粛が説明責任という倫理を果たさないように、作家としての倫理性がない。
 日本近代文学の終焉に対して、伝統的諸問題の再考とも、村上春樹に代表される自粛文学とも違った新たな文学も生まれた。リービ英雄の『天安門』やデビッド・ゾペティの『いちげんさん』、唐亜明の『翡翠露』、毛丹青の『にっぽん虫の眼紀行』、アーサー・ビナードの『吊り上げては』のように、非ネイティヴ・スピーカーの手による小説や詩が登場した。ほかにも、多和田葉子や水村美苗もこの流れに位置づけられるだろう。多和田葉子はドイツに長く在住し、ドイツの文学賞も受賞しており、日本よりも、ドイツで先に評価された作家である。また、少女時代から大学院生くらいまでアメリカで暮らした水村美苗は、漱石の未完の小説『明暗』の続きをその文体を模倣して書いた『続明暗』によって注目された。その後、帰国子女を主人公にした『私小説』により有名になった。この作品はすべて横書きで書かれ、ほぼ同じ比率で英語と日本語が使われている。こうした動きは日本近代文学が持っていた国民文学や国民言語を超えた新たな文学の生成に向けられていると言ってよい。グローバリゼーションが進む中で生まれたこの文学は、J文学に対して、「G文学(Global
Literature)」と呼ぶことができる。それはポスト国民文学の世界的な総称になるだろう。
 日本近代文学は国民言語形成と共に始まる。国民国家は国民言語を普及させるメディア自身が用意した。国民言語は「遅れ」を国民に意識させる道具である。国民言語の形成の動きがなければ、国民国家は成立しない。国民言語は視覚的表現としての文字と聴覚的表現としての発音に基づいている。日本近代文学は、言語の近代化、すなわち言文一致運動に基づいている。言文一致運動は書き言葉の発明と標準化を意味する。それは法律の文章にも使われる。この言語を読み書けることが国民の証となる。言文一致は、国民国家プロジェクトを先行している地域の言語の翻訳を通じて、可能になる。近代に限らず、一切の言語は翻訳から誕生するとしても、書き言葉と話し言葉が一致しなければならないという発想はそれまではなかった。言文一致を経ている二十世紀の人々には、二葉亭四迷の『浮雲』第二編・第三編はそのままできても、第一編のような日本語を書くことができない。二葉亭四迷は『浮雲』第二編をロシア語で書いた後、日本語に翻訳して発表している。二葉亭四迷にとって、言文一致運動以降の日本語は外国語である。二葉亭は、リービ英雄やビット・ソペッティ同様、日本語のネイティヴ・スピーカーではないというわけだ。「Мне хочется спать.(眠い)」のように、文章によっては、主語を(省略ではなく)欠くロシア語からの二葉亭四迷による翻訳を通じて、言文一致運動の基礎付けがなされた点は注目に値する。ロシアの近代文学はプーシキンから始まるが、彼以前、ロシアで発表される小説にはフランス語が使われていた。ロシア語はプーシキンがつくったのであり、そのとき、ロシア近代文学は始まった。言文一致が確定した日清戦争のころから、明治国家は国民国家として確立され、「遅れ」が日本区民全体に浸透し、日本人は欧米に対する劣等感とアジアやアフリカに対する優越感を抱くようになる。
 国民国家と国民言語の関係はアラブを例にとると明瞭になる。アラブ人は一つの国民国家を建設できなかった。アラブ社会における日本近代文学の受容は、そのため、皆無に等しい。アラビア語では口語は各地で異なっている。文語意識はマグリブ諸国よりも、湾岸諸国の方が強い。エジプト・アラビア語は、アラビア語の口語の中でも、発音からも、大きく異なっている。革命に成功し、スエズ運河を国有化した偉大な大統領はجمالエジプトでは「Gamal」と呼ばれていたが、正規のアラビア語では、「Jamal」である。文語は、『القرآن』──アラビア語には、エとォの音はない──に基づいているため、変化させることはできない。また、フォントも、上記二つが示している通り、各地域によって異なる。とは言うものの、النبي محمد صلى الله عليه و سلمの時代にはコンピューターがなかったように、新たな単語は、時代の変化とともに、語彙の中に加わっていくため、まったく変わっていないわけではない。言文一致は、アラブ社会では、不可能であり、一つの国民国家建設は頓挫した。
 国民言語は政治的意図に基づいた人工的な言語を示す例は、今の日本国内にもいくつか見られる。明治期に、自然発生的に生まれた「手話」は、言語学的に見て、日本語とはまったく違う言語である。ところが、健常者は日本語に対応した手話を押しつけようとしてきた。さすがに、聴覚障害者にとって、使いにくいため、最近は対応手話をやめ、手話が支配的になっている。手話は、点字と並んで、言文一致の矛盾を顕在化させている。国民国家は障害者を排除する体制である。聴覚障害者であることは医学的ではなく、政治的・経済的意味を持っている。手話に対する国民国家の抑圧はそのために行われた。また、国語審議会は国民言語の政治性を卑猥に露出している。イギリスやアメリカでは、正しい英語を審議する場などない。なぜなら、言語の意味は用法にほかならないからだ。社会的影響はないものの、エリザベス女王の英語も問題にする正統的な英語を考えている有志はいる。二十世紀における英語の広がりは帝国主義的支配に原因が少なからずあったとしても、携帯電話をアメリカでcell phoneもしくはcellerと呼ぶのに、インドではmobileと言うように、それは国民言語的性質から生じていない。英語よりも、世界的に、若年層で見れば、ヒンディー=ウルドゥー語を話す人の方が多いが、インド国内でも、北部のヒンディー語と南部のドラビダ語ではまったく違う言語系に属するため、コミュニケーションをとる場合、英語が使われている。国語審議会が若者の言葉を問題にしても、天皇の日本語に注文をつけることはない。国語審議会はサバの正確な表記は「鯖」ではないと指摘したが、われわれは、むしろ、「鯖」こそが現在では正しいのだと言いたい。と言うのも、長嶋茂雄が寿司屋に行った際、「マスター、サバをお願いします。魚辺にブルーの『鯖』です、ハイ」と語っているからだ。しかも、一九三〇年代、政府はイワシの表記を「鰮」と公認していた。国語審議会が存続し、手話による文学が登場していないにもかかわらず、こういう国民言語の美しさや豊かさは政治的問題である「日本語の美しさ」や「日本語の豊かさ」という発言はプロパガンダであって、文学者である限り、最も使ってはならないフレーズである。
 国民言語が国民に定着してくると、その人工性を隠蔽するために、国民の歴史が語られ始める。昭和十年以降、歴史を扱う文学が政治的理由で搭乗した。明治や大正の知識人は、今がいかなる時代であり、将来どうなっていくのかに関心があった。彼らの考察には現在と未来しかない。アカデミズムにおいては、西洋から紹介された近代歴史学が研究されていた。森鴎外が例外的に『歴史其儘と歴史離れ』で歴史と文学の問題を扱っていたが、多くの文学者は、内村鑑三の『代表的日本人』のように、江戸期までの人物の評伝か出来事を扱っているだけで、歴史をいかに把握するのかという認識には乏しい。左翼運動が弾圧され、国粋主義が勃興した後、ようやく歴史が省みられる。この場合の歴史は日本のアイデンティティーを意味している。ナショナリズムは自発的ではなく、外発的に始まるルサンチマンである。ユーラシア大陸において、歴史の中心は中央アジアである。モンゴル系やトルコ系民族こそが歴史の中心だった。彼らは勝利者だった。中国人は、歴史を記述し、その中で、勝利しようとした。漢は匈奴の属国にすぎなかった。けれども、勝利者は文字を持っていなかった。「匈奴」も漢民族からの蔑称であって、彼ら自身が自分たちを何と呼んでいたのかわからない。文字は敗北=自立意識から必要とされる。「敗北」も漢民族的な言葉である。漢民族が勝利すれば、モンゴル系民族は北に敗走するという意味だからだ。文字を持っていない民族は、決して、少なくない。なるほど四大文明には文字があった。文明は農耕と交易の拠点を意味しているにすぎず、そこだけで自律しているわけではない。周辺地域とのネットワークの大きな拠点と考えるべきであり、それが自立意識を引き起こした。中国人とは違い、インダス文明以来、インド人は歴史記述を行ってこなかった。インダス文明は中央集権が弱く、周辺地域とに交易も良好で、平和だったため、歴史を書く必要がなかったからだ。ナショナリスティックな歴史研究は、内憂外患にさらされている国家の絶対化にすぎない。昭和十年前後から、「大衆文学」に代わって、「国民文学」が文学者の間で使われ始める。歴史小説は国民文学の一つとして誕生した。歴史小説は、そのため、当時とは日本語が違うはずなのに、言文一致以降の日本語で書かれるという矛盾点を抱えたまま、今に至ってしまう。ナサニエル・ホーソンは、『緋文字』を舞台である十七世紀ピューリタンの英語で書いている。メル・ギブソンが『パッション(The Passion of the Christ)』(二〇〇四)をアラム語とラテン語で撮っているのは、その意味で、まったく正しい。平野啓一郎には『日蝕』をせめてラテン語で書く工夫は必要だったろう。「身の安全のためについた嘘は真実である(verum est quod
pro salute fit mendacium.)」。言語の変化が認識の変化に寄与する。過去を扱う場合、二十世紀においては、むしろ、スティーヴ・エリクソンの『Xのアーチ』やウィリアム・ギャスの『トンネル』、フィリップ・K・ディックの『高い城の男』のように、国民国家の歴史性を明らかにし、相対化しなければならないのだが、日本文学では、歴史小説は国民言語の正統性を保証し、国民国家的願望として現在でも受容されている。
 日本の文学者もただ国民国家のアジテーターになったわけではない。アドルフ・アイヒマンに関する映画『スペシャリスト』が公開されたが、国民国家は(理論的裏付けはあるものの倫理性を欠いた)スペシャリストの国家である。江戸期の日本がエキスパートの社会だったのに対し、近代化はスペシャリスト化を意味した。文学者たちは敏感にそれに抗ってきたが、いささか懐古的だった。小林秀雄が目指した理想的作家は、エキスパートであり、T・S・エリオット流の文学の官僚主義を嫌っていた。志賀直哉を「小説の神様」と認めた日本近代文学の理想もエキスパートである。エキスパートが理論性と(説明責任としての)倫理性を欠いているように、理論と倫理に対する嫌悪が日本近代文学の特徴である。文学者たちは、スペシャリストを克服するために、理論と倫理をかねそなえたプロフェッショナルを目指すべきだった。二十世紀はプロフェッショナルの時代である。プロフェッショナルは契約したクライアントに対する説明責任を組織維持よりも重視しなければならない。作家がエキスパートを志向したのは、学者というスペシャリストに対するアンチテーゼからである。国民国家は、自分自身を防衛するために、スペシャリストを生産しなければならなかった。十九世紀は体系の世紀であり、体系こそが倫理だった。組織を守ることが倫理だと信じられていた。近代日本は史上最悪の国民国家である。蓄音機を発明できなくとも、ウォークマンは開発できるように、日本人はヨーロッパで誕生した国民国家を受容すると、組織を守るという倫理を時代錯誤なまでに信じ、それを推進してきた。戦時中、「非国民」をスターリンの「人民の敵」と同じ意味で使っていたにもかかわらず、自己批判もしないまま、日本人は依然として「国民」という言葉を使っている。しかも、権力者は、生物学者発言を筆頭に、戦争に関する説明責任を一切果たしていない。日本文学はこの現状に抗うことができていない。
 二十世紀はポスト国民国家を模索し、ポスト国民文学を求めてきた。二十世紀は国民国家が孕む矛盾や問題に振り回されてきた。国民国家というプロジェクトは失敗した。いわゆる社会主義体制も、ビスマルク流の国民国家のヴァリエーションにすぎない。大陸に先駆けて、市民革命や民主化との連動による統一国家を達成したイギリスは、産業革命を通じて、ヨーロッパ最大の経済力を身につけていった。国民国家プロジェクトはnationとstateという別の概念を組み合わせて強力な政治権力をつくりあげ、国家的統一と経済的遅れを一気に取り戻す計画だった。経済的優位な国家を政治主導によって乗り越えることはできなかった。ヨーロッパ国民国家はイギリスに戦争でも勝つことはできなかった。イギリスに勝ったのは、独立戦争のアメリカだけだった。このとき、二十世紀が予測されていた。アメリカは、当初、国民国家を志向していたかに見える。アメリカはフーリエ的実験の場であり、最初からポスト国民国家だった。アントニオ・ネグリ=マイケル・ハートは新たな世界的システムを「帝国(Empire)」と呼んでいるけれども、少なくとも、「国民国家(Nation-State)」が対抗してきた体制は、UKやUSA、UNが示している通り、「連合(United)」である。ポスト国民国家体制は、それに従えば、「コモンウェルス(Commonwealth)」と呼べよう。国民国家の理念がフランス革命に由来する「自由・平等・友愛」だとすれば、コモンウェルスのそれは「普遍・多様・平和」になる。国民国家は、神の死を背景に、登場したが、二十世紀は神の死の決定不能の時代であり、先と後も決定不能にある。国民国家よりも先にポスト国民国家があった。国民国家主義者はポスト国民国家さえも乗り越えられると信じていた。EU共通外交上級代表のハビエル・ソラナは、二〇〇〇年に、EUは国民国家という原子の結合した分子であると喩えた。チームワークを英語ではchemistryと言う意味において、興味深い比喩だ。けれども、物理学博士であるにもかかわらず、彼は、二十世紀後半を生きているというのに、quarkを忘れているようだ。十九世紀の戦争が国家間戦争を主流にしたのに対して、二十世紀の戦争では、第二次世界大戦がスペイン内乱に始まっているように、内戦が主流である。たとえ国家間戦争に見えても、中東や印パが示している通り、それは国民国家建設によって生じている。トマス・ピンチョンの『重力の虹』、ジョン・バースの『酔いどれ草の仲買人』、サミュエル・R・ディレニーの『バベル17』、カート・ヴォネガットの『プレイヤー・ピアノ』など合衆国の文学を代表に、国民国家批判をテーマにしたポスト国民文学、あるいはポスト小説とも呼ぶべき作品が登場した。小説とは違い、ポスト小説がいつから、またはどの作品から始まったのかという問いは背理である。ポスト小説を定義することはできない。ただ、「家族的類似性」(ヴィットゲンシュタイン)があるだけだ。”It’s a family
affair, it’s a family affair”(Sly & The Family Stone ”Family Affair”). ポスト小説は、二十世紀を代表する散文であり、広い意味の「メロドラマ(Melodrama)」を指し、SFやミステリー、冒険小説、ホラー、変流文学を含む。これは、字義通り、小説の後にくる文学ジャンルであるが、より正確には、小説のパロディあるいはパスティシュである。日本近代文学史自体のパロディあるいはパスティシュであるような作品、それも、キャロル・リード監督の『フォロー・ミー』を彷彿させる作品が出現したとしたら、それはポスト小説である。ポスト小説は方法の文学と見なせる。「何を書くか」、すなわち主題の問題ではなく、「いかに書くか」、すなわち媒体に固有の表現の問題を重視する動きは、二十世紀後半に弱まり、むしろ主題主義へと回帰している。これは方法の閉塞感を打破できない苛立ちから生じたにすぎない側面が強い。モダニズムという前衛芸術運動の克服はメロドラマが達成している。メロドラマは複雑さではなく、むしろ、単純さにおいて、最も威力を発揮する。少ない語彙、優しい構文、単純な言い回しを使ったチェーホフは、その意味で、二十世紀芸術を先取りしていた。メロドラマの可能性を提示したのはジェイムズ・ジョイスである。メロドラマを通じて、小説が抑圧したジャンルと言語を登場させた。ジョイスは二十世紀を超えているが、二十一世紀の作家ではない。彼は二十一世紀の入り口で待っている。ジョイスはアイルランド出身である。イギリスは成文憲法を持っていなかったり、英連邦を構成しているように、必ずしも、国民国家的ではない。そのイギリス最大の問題が北アイルランド問題である。ジョイスの作品は非国民国家とポスト国民国家の決定不能性を体現している。ジョイスはウィリアム・フォークナーに影響を与え、小説に違和感を覚える世界の多くの作家がフォークナーを基盤にした。国民国家建設には、少数民族の抑圧と内戦による左右の過激派の制圧がつきまとう。北軍に制圧された南部の出身だったフォークナーは、その点から、小説の読み替えを行った。さらに、フォークナーが言語に焦点を合わせた方法を使っている『響きと怒り』を一九二九年に発表している点と映画との関係も強かった点も忘れてはならない。フォークナーは、それらの意味においても、非常に二十世紀的姿勢を持っていた作家である。ポスト小説においては小説が抑圧してきた諸ジャンルが細分化している。小説は、純粋な小説が存在しないように、脱ジャンルではない。国民国家に基づいている小説は国民に似ている。小説の使命は国民文学の形成であるから、小説は、国家的言語によって、記されていなければならない。小説がイギリス以外で隆盛を迎え、小説(novel)という単語が使われていないこと自体政治的である。小説(novel)は、新規な(novelty)と同じ語源を持っている。小説は都市と地方の対立、農村の都市化=近代化を前提にするが、その状況がすでに達成されたイギリスでは、新規なものと受容されるほかなかった。グローバリゼーションと反するように思える十九世紀の国民国家や帝国主義が二十世紀のグローバリゼーションを用意したように、ポスト小説はこうした小説の内在する矛盾から生まれるのである。
 小説の主人公は「女性」であるが、それを書いていたのは、当初少女マンガを男が描いていたように、男だった。一方、ポスト小説の書き手は「女性」である。この「女性」はポスト国民、すなわち国民国家によって抑圧されてきた人たち、あるいは国民に対する相対的他者を意味している。それには外国人も含まれる。『闇の左手』のアーシュラ・K・グィンや『儀式』のレスリー・アーモン・シルコウ、『血みどろ臓物ハイスクール』のキャシー・アッカー、『マンボ・ジャンボ』のイシュメイル・リード、『カッコーの巣の上で』のケン・キージーなどはその表象だろう。「ポスト」は二十世紀を表象する概念である。十九世紀が「象徴」を求めたとすると、二十世紀は「表象」を必要とした。ポストモダンにしろ、ポストコロニアルにしろ、積極的な概念ではない。十九世紀は、「ユダヤ人」のように、概念を定義し続けたが、二十世紀は積極的な定義を避けている。二十世紀は十九世紀と二十一世紀をつなぐ過渡期である。石川啄木は、『時代閉塞の現状』において、「冬」の時代の到来を説いた。二十世紀は十九世紀という「秋」と二十一世紀という「春」をつなぐ「冬」である。十七世紀は春であり、十八世紀は夏だった。あるいは、十七世紀は秘密結社と理性、十八世紀はサロンと情熱、十九世紀はアマチュアと欲望、二十世紀はプロフェッショナルと無意識の世紀であろう。かりに女性の被差別部落出身の作家が作品を書いた場合、それがポスト・ポスト小説と呼ぶことができるが、その限りない細分化が有意義であるとは言えないだろう。その限りない細分化は定義づけに向かっているからだ。純粋な一つの運動体はない。個人が他の個人とハイパーリンクによって交差しあっている。運動はその個人間の共時性によって動き出す。さらに、被害者が、ある場面では、加害者であることも少なくない。ポスト小説は、そのため、「ハッチポッチ文学(Hotchpotch
literature)」とも呼べる。ポリティカル・コレクト、いわゆるPCが文学的価値とすり返られているという批判は、ある意味で、正しい。後世では史料としてのみ振り返られるがけだろうという作品も少なくない。PCに対する批判は、それを強調しすぎると、吉本隆明が展開した「反核異論」の論理に陥ってしまう。小説を可能にしたのは、産業革命であり、この時代背景の中、今日まで続く出版制度が確立され、小説家が誕生した。小説が小説家を生み出した十九世紀は「商品としての小説」の時代だった。十九世紀はブルジョアの世紀であり、そのブルジョアの文学である小説は出自を否定する。小説はスキャンダルを扱う。スキャンダルは、出自を暴き、排除の機能を果たすからだ。成り上がり者であるブルジョアは出自を否定する。より市場が肥大化した二十世紀は小説家自身も商品になった。マスメディアが登場し、スキャンダルは宣伝効果として用いられるようになった。ポスト小説の作家は、トルーマン・カポーティーやノーマン・メイラーを筆頭に、スキャンダルと共に書かなければならない。
 ノースロップ・フライのジャンル批評に対して、ジャック・デリダはその企ては最終的には枠組みしか残らないと批判している。確かに、国民国家において、分類は定義を意味していた。しかし、ポスト国民国家において、分類は定義批判につながっていく。ポスト小説では積極的にジャンルが強調されている。ジャンルはメディアによってつくられるのであり、資本主義的現象である。作品は、生産・流通・販売の都合から、ジャンルに分類される。新しいジャンルは事後的に整理される。時代の変化にともない従来のジャンルにはうまく収まらない作品が発表されると、新しいジャンルが規定される。資本主義的下部構造の変化が上部構造を規定するというわけだ。フライのジャンル批評は先見性があった。ジャンル分けがなければ、今では不便だ。扱う規模が大きくなればなるほど、より細かく分類しなければならない。インターネットにおいて、検索エンジンとニュース配信サイトは不可欠だ。検索エンジンも、無批判的に、運用しているわけではない。スパム・サイト、ドアウェイページ(コンテンツに関係のないキーワードを置いてアクセス数を稼ぐテクニック)や、明らかにクローキング(訪問者とデータ収集用ロボットに異なったページを見せるテクニック)を意図したページに関してチェックし、こういったサイトを排除することに務めている。これを怠れば、検索エンジンのランキングが低下し、市場の信用度を失ってしまう。検索エンジンと言うと、「ノベル」を検索すると、マイクロソフト社のウィンドウズNTと並ぶネットワークOS「NetWare」を開発しているnovelにlを一つ加えた「Novell社(http://www.novell.co.jp/index.html)」が結果として出てくるようなアナーキーさは二十世紀を体現している。「ニュー・ジャーナリズム」が示しているように、ルポルタージュも、映像や音声の記録媒体が発達した二十世紀において重要な自己増殖性を持った方法であり、ニュース配信会社にも同様の方法がある。それを最初に気づき、生涯を通じて、その方法を映画や写真で追求し続けたのが、レニ・リーフェンシュタールだった。彼女は、一九二〇年代ドイツでのみ好まれていた(高峰の登山者を英雄として賛美した)「山岳映画」のヒロインを独占的に演じてきたが、後に、ベルリン・オリンピックの記録映画『民族の祭典』・『美の祭典』で知られる映画監督に転じ、戦後は写真家として活躍した。戦後日本でも、昭和三十年代を中心に、登山が賛美されたように、第一次大戦後のドイツにおいて登山が好まれたのは、登山がロマン主義によって生まれたことを思い起こせば、当然である。敗北した国民意識はロマン主義的な困難を克服する英雄によって癒されなければならない。分類された項目は、ジャンルを超えて、ハイパーリンクを通じてつながっている。国民国家的定義としてのジャンルはハイパーリンクによって無効になる。もはやジャンルは、便宜上、存在しているにすぎない。
 そのデリダのdeconstructionは、アメリカにおいて、研究者の論文を量産するための道具になったとき、最も効果的に批判の方法として機能した。大量生産=大量消費の時代にあって、アカデミズムという制度は論文の量産によって支えられている。二十世紀を「複製技術時代」と命名したヴァルター・ベンヤミンがアカデミズムから離れているように、デリダの「方法」が自己増殖し、量産の道具となるとき、アカデミズムという権威を最も批判できたのだ。
 二十世紀において大学が重要なのは、国民生産から離れ、人が大量に移動する交通の場だからである。ヘーゲルは自己認識において「労働」と「教養」の契機を説いたが、学校は、義務教育を通じて、国民を生産する機関である。義務教育は義務通学ではないから、不登校もひきこもりもその意味では問題ではない。移動したくてもできない人々が問題になっているように、二十世紀ほど人の移動が激しかった時代はない。海外旅行客や留学生や研究生に代表されるエクスパット、マイグラント、ステートレス・パーソン、移民、越境者は増え続けている。大学が今の時代に最も寄与しているのは人の移動を促進させている点である。二十世紀のIT産業の発展には、軍を中心にした公的機関、大学、民間企業の研究所がかかわってきた。十九世紀においては、大学も民間企業も、税金という巨大な集金能力を持つ公的機関にかなわなかった。しかし、二十世紀後半に至って、民間企業の研究所がほかの二つを凌駕しつつある。十九世紀は産業資本の世紀だったが、二十世紀は金融資本の世紀だからだ。巨大化した市場を背景に、民間企業は、ときには、国家を上回る集金能力を持っている。ヒトゲノム・プロジェクトにおいて、公的機関はある面で「セレラ社(http://www.celera.com/)」に遅れをとっている。けれども、こういう状況にしても、大学による人の大量移動なしには、起こりえない。さらに、バイオ産業など規模の経済が適用できない領域において、大学は、ベンチャー企業と並んで、ゲリラ的集団として最も効果を挙げている。そういった産業の市場は市街戦のごとく複雑で困難な状況にある。大学は、譬えるなら、市街戦に熟達したゲリラを生み出す機関として存在意義を発揮している。
 十九世紀的産業は古く、二十世紀的社会には生き残れないわけではない。リサイクルにおいて、産業資本のノウハウは捨てがたい。むしろ、二十世紀的産業の問題点を解消する際に、十九世紀的産業がアイロニカルに蓄積した技術や知識は欠かせない。人類を破滅させるであろうと言われているのは、環境問題を含めて、国境を越える性質があり、産業資本にかかわっている。ところが、二十世紀的産業にその問題を解決する手立てはない。十九世紀的産業が産業発展において後退と思われていたことが、環境問題解決の方策になることが少なくない。しかも、利益率は本業よりも高い。つまり、二十世紀は、いかなる領域においても、方法への意志が問われる時代なのだ。
 二十世紀は「アメリカの世紀」である。しかし、それは世界がアメリカ化する傾向にあるからではなく、アメリカ国内外において、決定不能性が機能しているからだ。アメリカのライフ・スタイルを現在の社会では、エネルギー・環境問題を考慮すれば、維持できない。二十世紀において、人々がアメリカに対してアンビバレントな感情、決定不能な感情を抱いてきたという意味である。十九世紀は「イギリスの世紀」だが、十九世紀の人々はイギリスに決定不能的感情を持っていない。イギリスを克服しようとしてきただけだ。アメリカは新しい国ではない。国民国家体制が世界化していく歴史においては、最も古い国なのだ。また、二十世紀アメリカ文学史は、反国民文学的運動によって、構成されている。イギリスになかった(現存するものとしては最古の)憲法を制定したように、アメリカ合衆国は、国民国家を志向しながら、国民国家批判を体現してきた。純粋な「アメリカ人」は存在しない。「アフロ」や「ネイティヴ」のような何かしらの形容詞がつく。「国民」によって封印された人々がさまざまな「アメリカン・ルネサンス」(F・O・マシーセン)──ハーレム・ルネサンスやサザン・ルネサンス──を起こしている。WASPによる歴史観に対して、一九八〇年以降、ポスト植民地主義や多文化主義の影響を受けて、アメリカ文学史は複雑化している。歴史は「体系」ではなく、「方法」になり、決定不能性に置かれるようになった。
 決定不能性の発信の源はクルト・ゲーデルの不完全性定理である。彼は、野崎昭弘の『逆説論理学』によると、一九三一年に次の結果を証明した。
 
自然数の理論を形式化して得られる公理系においては、その公理系が無矛盾である限り、次のような論理式Aが存在する。
 論理式Aはその公理系から証明できない。
 「Aでない」ことを意味する論理式も、その公理系から証明できない。
 
自然数論を含む公理系の中では、次のように解釈できる論理式Hを作ることができる。
 その公理系は無矛盾である。
 そしてこの公理式Hはその公理系が無矛盾であるときは、決定不能である。
 
 決定不能性が不可能の証明──嘘つきのパラドックス──と混同されている場合が少なくないので、注意しなければならない。決定不能を克服する方法も、決定不能を増殖させる方法も可能である。この不完全性定理に対して、G・ゲンツェンが無限大ωの性質を利用して自然数論の無矛盾性を証明したし、一方では、さまざまな数学者が不完全性定理を発展・拡大している。決定不能自体も決定不能になっている。方法が倫理だとしたら、その時代は倫理の根拠があるともないとも言えない状態にある。方法への意志はこうした事態から生じた。「数学で、証明されてもわからんことは、よくある。証明は所詮が説得の手段で、納得するわけではない」(森毅『夢みる脳』)。倫理の根拠づけと同様、倫理の無根拠性を唱えるのは時代錯誤である。あるともないとも言えないという決定不能において、有か無かという二項対立は意味をなさない。野崎昭弘の『詭弁論理学』が示しているとおり、二項対立は、魔女狩りの審問の際に用いられた強弁術であるように、躊躇であって、最初から結論は決まっている。二十世紀の人々は根拠があることに対して証明可能とも不可能とも言えず、また根拠がないことを証明可能とも不可能とも言えない状況に置かれているのである。
 一九〇〇年に狂死したニーチェは「神は死んだ」と言い、到来するニヒリズムを積極的に極限まで推し進めることを説いた。しかし、二十世紀において、神は死ぬに死ねなくなってしまった。正確には、神は死んだとも生きているとも言えない。この決定不能な状態が二十世紀である。これはニヒリズムでさえない。二十世紀は、無を宣告できるほど、はっきりした時代ではない。決定不能な状態を推し進めることは不可能である。推進できるほど、決定不能は明瞭ではない。ジャン=ポール・サルトルは「われわれは自由の刑に処せられている」と言ったが、われわれは、自由であるとも、自由でないとも言いきれない状態に置かれている。刑罰に服していると言うよりも、心当たりがあるともないとも言えない罪によってかけられた裁判の真っ只中にいると考えるべきだろう。二十世紀は一九二〇年から始まる。一九二〇年代のローリング・トウェンティーズと一九三〇年代の世界恐慌に二十世紀の特徴が凝縮されている。一九〇一年から一九一九年までは、時代的な問題から見て、十九世紀に属している。一八二〇年から一九一九年までが十九世紀である。おそらく、二十世紀は二〇一九年まで続くだろう。そして、二〇二〇年に訪れる二十一世紀はアメリカの世紀ではない。ただ二十世紀はほかの世紀とハイパーリンクによってつながっている。純粋な二十世紀は存在しない。島崎藤村が『破戒』を書いた点においては十九世紀的であるが、出版に関する姿勢は二十世紀的である。彼は、出版を意識して、自らをスキャンダラスに仕立てあげ、小説を発表した。「商品としての小説」だけでなく、「商品としての小説家」を先取りしていた。二十世紀は大衆の世紀、大量生産=大量消費の世紀である。全体主義の登場もこうした時代の雰囲気と無縁ではない。十九世紀は「労働」の世紀であり、二十世紀は「失業」の世紀である。二十世紀は「失業」に脅かされてきた。失業も国民国家=産業資本の矛盾によって生まれてしまった問題である。二十世紀の大衆は見えにくい消費の重圧下にある。消費には、コカコーラとペプシコーラの違いくらいで、選択肢はない。大企業が第三世界から搾取し、環境汚染に荷担していると知りながらも、消費者はそこから商品を買わざるを得ない。消費社会は国境を超え、広がっていく。政治を見ても、人々には有権者としても選択肢はない。政治もそうした企業と結びついている。人々は議会に期待していない。投票率は下落し続けている。選挙も国民国家の権威の一つだからだ。議会は一つの機関にすぎず、その権限は縮小し、政治家の役割は小さくならざるを得ないだろう。選挙の意味も軽くなり、政党政治の意義もこれからは変わっていく。田中康夫の活動はこの動きに対応している。国民国家が議会を生み出し、政治家を登場させた。国民国家が権威としたものは相対的に価値が下がっている。議会制民主主義に代わる民主主義体制が登場するに違いない。国民国家的な国民会議や政党制、国籍に基づく選挙権に代わり、匿名の個人によす問題意識の共有が政治の軸になりつつある。選挙は、有権者のためにあるのではない。グローバリゼーションが進行し外部と内部が曖昧になっている今、世界的に、選挙は、外部への有権者の政治的方向性のアピールという意味合いがある。合衆国で大統領選挙があったとすると、誰を大統領に選ぶかは、合州国市民ではなく、その外部の人々へ合衆国がいかなる方向性を志向するのかを示す契機である。わずか五〇%の投票率の大統領選挙の結果が世界に影響を与えているのだ。誰が選ばれても有権者にとっては同じかもしれないが、その外部にとっては、大変な違いがある。選挙は、有権者にとってではなく、その外部のためにある。外部と内部が曖昧になっているからこそ、こういう事態が起こっている。しかも、外部と内部の境界はさらに不明瞭になっていく。二十世紀の資本主義社会では、すべてが商品化され、消費されてしまう。神も例外ではない。神を商品にするには、死なれていては困る。けれども、生きていては商品にできなくなる。そのため、神は死んだとも生きているとも言えない状態にあることが望ましい。実際、『ドラえもん』は作者が亡くなった後も、連載を続けている。やめるにやめられない。
 そういう時代に向けて、未来を描く方法自体も変わらざるをえない。世界の変容は言語の変化と連動している。ところが、未来を舞台にしているはずなのに、言語は現代のものが使われている作品が少なくない。言語の変化は誰にも予測できないし、過去の言語は、読者も調べれば、理解できるが、未来の言語に対してはそうもいかない。けれども、人工の意味合いもかつてとは違っている。Linus B. TorvaldsがLinuxをネットで匿名の不特定多数に向けて提示したように、新たな言語を提起することは可能であろう。ウィリアム・ギブソンの『ニューロマンサー(Neuromancer)』はそれを達成している数少ない作品である。彼は日本語や造語をちりばめ、IT用語をスラングとして使い、未来の言語を語ろうとしている。ギブソンの「cyber space」もネットワーク上の電脳空間として定着している。これだけでなく、文学が提起した概念が使われることも多い。カレル・チャペックの「robot」は言わずもがな、ジョイスの造語「quark」が素粒子論で採用されている。
 本来、「仮想」の訳は「supposed」であって、「virtual」ではないが、今回は、現在流通している通説に従い、後者の意味で使っている。ただ、ここで用語を整理しておこう。「現実(real)」の反対は、「実数(real number)」に対するのが「虚数(imaginary
number)」であるように、「虚(imaginary)」である。他方で、「バーチャル(virtual)」の反義語は「ノミナル(nominal)」である。ノミナリズムとリアリズムの論争が、スコラ哲学で盛んだった通り、「現実」と「バーチャル」は、むしろ、類似しており、「ノミナル」は「仮想(supposed)」に近い。他に、「擬似(pseudo)」もあるがこれも「バーチャル」とは本質的に違う。「バーチャル」と「リアル」の決定不能性はこうした点からも理解できよう。
 二十世紀における最大の哲学的関心事は言語である。ITにおいて、新たな言語の開発こそが、新たな技術の開発につながる。それはOSを代表に最も使われているC言語の歴史が示している。IT産業は二つの要素によって成り立っている。それはinformation、すなわち言語とtechnology、すなわち工業技術である。純粋な上部構造も下部構造もない。いかなるものにも上部構造的・下部構造的要素が入りこんでいる。歴史の原動力としての上部構造と下部構造は決定不能の状態にある。マルクス以来の下部構造の強調は、上部構造の優位さを求める国民国家的自己保身を批判するために、行ってきたと考えなくてはならない。一九六五年、IBMはあらゆる分野で使用でき、かつ従来の言語を一つの体系付けした逐次手続き型言語PL/1を開発した。同年、MITで、新たなコンピューター・システムMULTICSが開発されるが、PL/1で書かれることになる。これが一九六九年にベル研究所で誕生した画期的な基本ソフトUNIXに影響を与える。一九六七年、ケンブリッジ大学のマーチン・リチャードがBCPLという手続き型言語を開発した。一九七〇年、ベル研究所のケネス・L・トンプソンがBCPLを改良した言語を発表した。それはトンプソンの妻ボニー(Bonnie)の頭文字をとってB言語と名づけられた。一九七二年、同研究所で、UNIXのために、D・M・リッチーがB言語の影響を受けて、C言語を考案した。一九七八年に、リッチーは、B・W・カニーハンと共著で、『プログラミング言語C』を出版し、一般に広がった。このような経緯を経ているUNIXやCは、非常に汎用性が高いため、現在でも広く使われている。無料配布されているLinuxやSolarisもUNIX系列のOSである。二〇世紀後半の人々は、コンピューターが生活環境重要な一部である以上、言語に囲まれて生きていると言っていいだろう。
 コンピューターに囲まれている現代生活において、Visual C++やVisual Basic,
Javaのようなプログラミング言語、SGMLやHTML、XMLのようなマークアップ言語を代表に人工言語は不可欠である。この人工言語は「人工」の意味を変えた。プログラム言語は自然言語と機械語との橋渡しをする言語で、最初のプログラム言語COBOLは、一九五二年、グレース・ホッパーが考案した。自然言語の持つ知識(意味・法則・理論・概念)をコンピューターによって処理するには、知識表現をしなければならない。それにはオブジェクト表現や意味ネットワーク理論、プロダクション(IF-THEN)・ルール、「フレーム理論」(M・L・ミンスキー)などが含まれている。どのプログラム言語が正しくどれが間違っているわけではない。目的と用途に応じて、向き=不向きがあるだけである。「方法」にのみ真偽がある。機械語はコンピューターが直接理解し、処理することのできる言語である。ハードウェアごとに用意されている命令が異なるため、それで直接プログラムを書くことは難しいが、プログラム言語を使っていても、New Basicの場合、「=」ではなく、「=+」と書くといった機械語に近くなるような工夫すると速く実行してくれる。コンピューターは2進法に基づいている、1か0しかないという誤解がある。コンピューターでは、10進法を純2進法で表わしても、桁数は3.3倍にしかならないのだが、大きな数は桁数が増えて、人間には扱いにくいため、16進法も使われている。マークアップ言語は文章データをデーターベース化するための言語である。一般のワープロ(ソフト)は、文字印刷が目的であるため、用紙サイズや文字数、書体などのレイアウト情報と文章内容を一体化して保存している。しかし、一方で、ほかのワープロでは、テキスト・コンバーターでも使わない限り、データーの再利用ができなかったり、レイアウト情報の一部をちょっと変えただけでも、他の部分まで大幅な変更をしなければならないという不便さがある。そこで、次のように、文章の論理構造にファイル・テキストで印をつけるための言語、マークアップ言語が考案されたのである。
 
<tr>
<td colspan="2"
bgcolor="#82DD18">
<b>本 名:</b>小俣雅子<br>
<b>出 身:</b>山梨県<br>
<b>出身校:</b>東京学芸大学<br>
<b>誕生日:</b>6月19日<br>
<b>洋 服:</b>9号<br>
<b>指 輪:</b>12号<br>
<b>靴  :</b>24センチ<br>
</td>
</tr>
 
とHTMLで書くと、
 
本 名:小俣雅子
出 身:山梨県
出身校:東京学芸大学
誕生日:6月19日
洋 服:9号
指 輪:12号
靴  :24センチ
 
 WWWブラウザー上では、このように表示される。印刷された本には文字が並んでいるが、レイアウト情報が内蔵されている。ほかのメディアに移すためには、レイアウト情報をすべて組み替えなければならない。視力に障害がある人たちにとって、フォントのサイズや色を見やすいように変えられないのは、不便である。ITはインディペンデントに生きるための手段である。最もITに親しんでいる作家の一人として、水上勉があげられる。水上勉は、原稿を書くとき、音声入力を使い、Eメールによって交友関係を広げている。IT化への批判は、むしろ、そのパロディ、もしくはパスティシュによってなされなければならない。文明批判が何度も繰り返されてきたが、それは必ずしも有効ではなかった。拡大する資本主義を食いとめることは困難である。IT化への批判は精神のより進んだIT化によって可能になる。そのため、人工言語批判も変容せざるをえない。コンピューターが従来の機械と違うと言える理由は、バグの存在である。バグは、プラグラム言語の構文上のミスであるエラーとは違う。バグは、大きく、論理的なものとそれ以外のものとにわけられる。前者には、処理の順番間違いや条件による分岐の誤りなどがある。コンピューターにおいて、書くとは思考における論理の再構築、すなわち命令・実行・処理を意味している。後者にはプログラマーの初歩的なミスから原因不明まで多岐に渡る。コンピューターのプログラムには、言語を使う以上、バグがないとは言いきれない。「プログラムというのはおかしい世界でして、ミスがいっぱいあるのです。特に大型のプログラムになると、ミスがありながらも、なんとなくつじつまがあえばいいという。前にコンピューター屋さんと話していまして、いいプログラムはどういうものかというと、ミスのないプログラムではない、と。プログラムのミスのことを虫(バグ)と言うが、虫がウロウロ動き回らないようにおとなしくすみ分けしていて、虫が異常発生すると、それにすぐに気がつくようなプログラムがいいプログラムだ、と言うのです」(森毅『数学と人間の風景』)。ITでは、ミスはあって当然、それをフィードバックすればよい。結果にすばやく対処するには、原因を探求するよりも、その結果が次に何を連鎖してしまうのかを分析するほうが重要である。こうしたサイバネティクス的認識が正しいとか間違っているかではない。現実を構成している重要な要素である。ある面で、従来の原因と結果の因果関係が無効になる。原因と信じられていたものが、曖昧な影響程度にすぎなかったことも明らかになった。原因と思われる要因があまりに多く、複雑に絡み合っているから、はっきりしないのではない。原因という概念自体がはっきりしなくなったと認識すべきだろう。このように人工言語は、あくまでも言語であるために、人工の意味を変換したのである。
 アラン・C・ケイは、コンピューターを「メタメディア」、すなわちメディアの垣根を超えた最初のメディアであると言い、一九七〇年代初期に、「ダイナブック構想」を発表した。コンピューターは机の上にあるだけではなく、どこにでも持ち運びできるようにしなければならないとして、ノート型パソコンの重要性を説いたのである。コンピューターは複数のメディアを統合し、個人で活用するものへとなる。メディアは伝達媒体を指すが、磁気や光による記録(記憶)媒体、もしくは情報媒体を意味する。二十世紀における出版の主役はペーパーバック、文庫、新書であり、「ダイナブック構想」は卓見だった。アップル社はiBookを「iMac to go」というコピーで売り出した。Yum!ウィンドウズNTは、節電機能やスタンバイ機能が十分に使えないため、ノートPCに入れるのが困難だったが、ウィンドウズ2000になってから、その問題も解決され、さらにはセキュリティー機能が豊富になり、ノートPCの活躍の場がまた広がった。ただ、現段階では、ノートPCを自作するのは困難であり、実現度はまだまだ不十分である。けれども、パソコンはより小型化・無線化し、次世代型携帯電話機やゲーム機器、情報家電が登場し、「ダイナブック構想」は現実化している。日本における、ITの中心はコンピューターではなく、携帯電話である。これは、ソニーがウォークマンを開発したことを考えれば、不思議ではない。一九八〇年代に細川周平は『ウォークマンの修辞学』を書いたが、固定電話の時代から携帯電話やデータ通信の時代に移行した今なら、『携帯電話の修辞学』を書いたかもしれない。携帯電話も文学として扱わなければならない。
 『起動戦士ガンダム』では、コクピットに搭乗する戦闘用ロボットを「Mobile suit」と呼んでいたが、ダイナブック時代においては、文学も「Mobile paper」としなければならない。確かに、コンピューターはhyper mediaであり、その上での文学はhyper bookである。Yahooも、iMacも、Linuxも文学である。赤と青の眼鏡をかけると立体的に見える絵本や飛び出す絵本、ソノシート付きの絵本を楽しんだが、今や、いかなる本に対しても、それが可能になった。レイ・ブラッドベリは『華氏四五一度』において、華氏四五一度、すなわち摂氏二二〇度「本のページに火がつき、燃えあがる温度」と言っている。しかし、Mobile paperには関係ない。Mobile paperの典型はマイクロソフト社がDVDで販売している綜合大百科事典『ENCARTA』であろう。そのせいで、とうとう「BRITANNICA(http://www.britanica.com/)」も書籍ではなく、ネット上で無料公開している。さらに、オンラインボランティアによって支えられているオンラインの無料百科事典「Wikipedia(http://en.wikipedia.org/wiki/Main_Page)」も好評である。「Eインク社(http://www.eink.com/)」のE-inkやマイクロソフト社から無料配布されている「マイクロソフト・リーダー(http://www.microsoft.com/READER/pc/product/team.htm)」がさらなるMobile paperを可能にするだろう。
 書くことの不可能性、あるいは読むことの不可能性を問うテキスト論的姿勢は十九世紀的である。不可能であるとも可能であるとも言えない状態である決定不能の時代において、「テキスト」概念自体も決定不能にならざるをえない。テキスト論者がテキストしかないと言うとき、原典の確実性を疑っていない。テキスト論的手法による『資本論』読解は矛盾している。マルクスの『資本論』は、エンゲルスが手を加えたこともあって、決定不能性を体現している。マルクスに限らず、二十世紀に影響を与えたニーチェにしても、フロイトにしても、テキストには決定不能性がつきまとっている。ITでは、「テキスト」は文章ファイル、特にワープロ・ソフトを選ばない反面、大幅にタグの制限がある拡張子.txtのファイルを意味している。しかも、ネットはハイパーテキストでつながっている。ポスト小説は、その意味でも、ハイパーテキストである。文学読解におけるテキストも、この点を考慮して、再考され、Hyper criticismとも呼ぶべき読解方法が求められるだろう
 コンピューターは、それを生み出した数学自身にさえ、認識の変化をもたらしている。コンピューターは数学の問題において解けないことを現実的と原理的の二つにわけてしまった。ある問題の解法がこの方向で原理的に間違いないとしても、セールスマン巡回問題のように、その時代最高のコンピューターの処理能力を超えているなら、それは現実的に解けないということになる。それを解決するために、非ノイマン型コンピューターが開発されようとしている。命令を一ステップごとにこなしていくノイマン型に対して、非ノイマン型コンピューターは並列処理や連想記憶を行うコンピューターで、並列処理、データフロー・コンピューター、リダクション・マシンなどの処理方式を採用している。非ノイマン型が主流になったとき、また認識が変化するだろう。
 サン・マイクロシステムズの創業者の一人、ビル・ジョイは、アラン・ケイと違い、悲観的な未来像を描いている。彼は、二〇〇〇年八月二十八日付『朝日新聞』によると、アメリカのコンピューター文化誌『ワイアード』に、「なぜ未来はわれわれを必要としないのか」という長文のエッセーを寄せている。ジョイは、遺伝子工学・ナノテクノロジー・ロボットの三分野(それぞれの頭文字をとって「GNR」と呼ぶ)を挙げ、ITの急速な発展により、人類を滅亡に至らせる技術を誰もが容易に手に入れられるようになると警告する。「技術が災いをもたらすなら、私自身、技術開発をやめなければならない日がくるかもしれない」と結んでいる。こうした科学技術を含む文明の発展に対する警告は決して珍しくはないが、ジョイの提案は現在の不安を要約している。特に、ジョイは、最大の危険要因として、人造病原体と知能化ロボット、高速の処理能力を備えたコンピューターを挙げる。自己複製能力を持った人造病原体・知能化ロボットは、従来の意味では、生物であるとも、機械であるとも言えない決定不能の状態にある。人造病原体と知能化ロボットを可能にするのが高速コンピューターである。何でもつくりたいものがあれば、ネットで必要な情報を容易かつ豊富に収集し、コンピューターの中で設計できる。コンピューターは高速化するだけでなく、小型化していくから、パソコン一台あれば、インフルエンザ並みの感染力を備えた強力な毒性を持つ人造病原体の設計図さえ考案でき、さらに世界中にばらまくことが可能になる。その結果、世界は「乗客全員がいつでも『墜落ボタン』を押せる状態で飛んでいるジェット機」のようになってしまう。そこで、ジョイは危険を防ぐ五つの原則を提言している。1科学者・技術者による大量破壊・殺戮につながる研究への非従事の宣誓。2新技術の危険性・倫理性を検討する国際的会議もしくは委員会の設立。3PL法の枠組みを拡大し、あらゆる機関・企業への技術に対する結果責任の義務化。4危険と指定された知識・技術の国際的管理。5危険な知識探求や技術開発の禁止。こうしたジョイの仮設に対して、意見はさまざまにわかれているが、現代人が科学に抱いている危機を要約していることは間違いないだろう。
 こうした危機に便乗した作品を書いているのが村上龍だろう。日本近代文学の終焉後、二番目に売れた作家である村上龍は、ここ数年、『共生虫』や『ヒュウガ・ウイルス』、『希望の国のヱクソダス』を代表に時代の流れにうまく乗っている。『希望の国のヱクソダス』の『取材ノート』の出版は、映画のメイキング版の公開と同じであり、一作で二冊売れるのだから、出版社は大喜びしているだろう。新しい素材を扱いながらも、作品の方法は古典的である。村上龍は「一儲けしてやる」か「一泡吹かせてやる」のいずれか、あるいはその両方によって、生きている人を描くことしかできない。村上龍は、景気の回復の兆しが見え始めた時期にのみ、小説家として、売れる作品を生産できる。それは、アメリカとの関係を抜いては、語れない。村上龍が生まれ育った佐世保にはアメリカ軍の基地があり、「海の向こうで戦争が始まる」予感によって活性化される場所である。村上龍の作家としての感受性はこの町の表象であると同時に、欠点もここにある。村上龍は時代や社会の変化を敏感に感じ取り、それを作品にするということで生きてきた作家である。その姿勢自身が時間・空間に関する感受性を限定してしまう。村上龍の時間に関する感受性は、商売になるか、儲かるかという範囲でのみ働く。時代より一年先行していればよい。五年は早すぎる。また、空間に関する感受性は町の範囲でのみ機能する。村上龍は福生や佐世保という町を越える社会を扱わなければならなくなると、具体性が感じられなくなり、ペダンティックな知識に頼ってしまう。「海の向こうで戦争が始まる」予感をつかむ作家である村上龍は戦争で儲けても、戦争に参加することはしない。村上龍は、日本に違和感を持った作家であるどころか、極めて日本社会に根ざした作家である。ネットを扱うのであれば、ギブソンの『ニューロマンサー』に対抗できる方法論を備えていなければならないのだが、村上龍にとって、ネットはあくまで道具にすぎない。
 村上龍は、『共生虫』に限らず、以前から、動機自身が不可解な犯罪を描いてきた。短絡さと歯止めのきかない残忍さが目につく犯罪を扱うことを好まない。つかまった後、短絡的な犯罪者は現実が迫ってくるとは思わなかった、もしくは自己の外に現実があるとは思わなかったという態度をしばしば見せる。現実感とは、近代以降では、自己の確かさである。自己が確立されれば、現実感も
ある。かりに確かさがつかめないとしても、確かでないことをやりすごすか、またはその極限化に向かうという姿勢もとられてきた。自己とは他者なのだという認識が現実感には欠かせない。不可解な犯罪と言っても、破壊、すなわち殺人を通じた現実の再生を希求している。自分には現実感がない、だから現実に迫ってきて欲しいという願いがそこにある。さらに、これは、それでも迫ってこない現実にいらだっている場合や、逆に、現実は自分を拒むはずだと信じていたにもかかわらず、そうならなかった場合、その行為を通じて現実感を獲得している場合の三つに分類できる。九〇年代後半のマスメディアを賑わせたこうした未成年者の犯罪を、八〇年代半ばに日本テレビ系列で放映されていた『あぶない刑事』が、すでに扱っている。その第一話では、九〇年代後半を予感させる若い犯罪者が、七〇年代の反体制運動家と比較して、描かれていることに注目しなければならない。七〇年代は反抗する対象としての権威が明瞭だったが、八〇年代以降ではそれが曖昧になり、若者はどうしていいかわからず、ただいらだち、突然、爆発せざるをえない。その上、『あぶない刑事』が神奈川県警の腐敗を暗示する物語で、最終回を迎えていることも忘れてはならないだろう。これまで、文学が犯罪を扱う場合、加害者側の視点を選んできたが、最近になって、被害者側から書くようになった。加害者側だけでなく、被害者側にも、時代・社会を表象するものがあることがわかったからだ。村上龍は加害者から描きつつ、不可解さを寓話的要素が忍びこませるという古典的な手法によって表現するだけなのだ。
 アメリカを中心にして、先の犯罪とは違うタイプの犯罪、ハッカー──正確には、クラッカー──が世界的に問題になっている。『ニューロマンサー』の主人公もハッカーだが、日本という枠でのみ問題を捉えていればいいという時代でもないのに、村上龍はそういう作品を描かない。ケイスには現実に対するこだわりがない。サイバー・スペースにおける犯罪を楽しんでいる。売買・脅迫を目的とした情報のコピーや国家・企業・団体に対する抗議をこめたデータの改ざん・破壊だけでなく、たんなる悪ふざけがクラックの動機であることも少なくない。クラックによっていかに混乱が起きたとしても、直接的暴力行為をしていないから、罪悪感はない。単独の場合もあるが、たいていはネットで知り合っただけの国境を越えたどこの誰かもわからない匿名の存在と組んでクラックを行う。そして、マスメディアで騒がれる自分たちの成果に対して悦に入っている。マスメディアは自分たちの成果を宣伝してくれる広報にすぎない。逮捕されるといったような現実が迫ってきたとしても、それはミスっただけだ。刑務所から出たら、再犯の可能性は高い。これは法的不備の問題だけではない。ハッカーは現実を重視していない。現実に拘泥しないから、彼らは明るい犯罪者である。クラックはゲームだ。これは、フットボールやチェスのようなゲームを考えると、奇妙である。プレーヤーは対等ではないし、第一、参加すると同意していない。この場合のゲームは、一方的に開始を宣言できるテレビ・ゲームのようなものを意味している。彼らは機械、正確にはその製造者と管理者に対してゲームを開始するつもりで、クラックを行う。ギブソンはハッカーを描く際に、サイバー・スペースは現実世界の一部であるどころか、現実とサイバー・スペースは決定不能に置かれているという意識を持っている。 ニコライ・イヴァノヴィチ・ロバチェフスキーは自らの非ユークリッド幾何学を「仮想幾何学」と命名している。その後、必ずしもそれが「仮想」であるとは言えず、「仮想」と「現実」は決定不能になっている。サイバー・パンクは、『北斗の拳』サイバーパンク版とも言える『マトリックス』にしても、ブラッド・ピットが出演した中では最高の『ファイト・クラブ』にしても、それを前提にしている。さらに、The Whoが、一九七三年の段階で、『四重人格(Quadrophenia)』において、そういう世界を描いていることも思い起こすべきだ。時代に対する嗅覚を研ぎ澄ますならば、こういう世界を扱わなければならない。実際、個人投資家を育成したのは、何よりも、インターネットである。上場企業は、彼らを意識して、自社のサイトに事業内容や概要、新製品の紹介、サポート、求人などの情報を掲載するだけでなく、サイトのデザインにも気を配っている。まったくさえないデザインのサイトでは、その企業が消費者のニーズに応えられる資質に欠けると判断されかねないからだ。
 そもそも神が死ぬに死ねない時代において、殺人にカタルシスを抱く人物を描く村上龍が時代錯誤であろう。『ニューロマンサー』の中で次のように書くウィリアム・ギブソンは二十世紀を理解している。「力とは、ケイスの世界では、企業力を意味する。財閥(ザイバツ)すなわち、人類史の進路を形づくっている多国籍企業は、かつての障害を超越してしまっている。有機体として見るなら、一種の不死性を獲得しているのだ。主な経営陣を十人ばかり暗殺したところで、財閥(ザイバツ)を殺すことはできない。別な連中が待ちかまえていて階梯を登り、空席を占め、企業記憶(メモリ)の膨大な在庫(バンク)に出入り(アクセス)するから」。
 村上龍の未来予測は時代を超えらないのは、時代認識の弱さだけでなく、方法を創造する意識が薄いからである。村上龍は、小説において、ネットも、薬物中毒も、同じ手法で扱っている。新たな題材だけでなく、新たな方法を提示することが、今の時代と共に生きている小説家のすべきことなのに、村上龍にはそれができない。彼は、『希望の国のエクソダス』の中で、子供によるビジネス展開が描かいている。確かに、これは別に夢物語ではない。アングロ・アメリカでは珍しくないし、日本にも、そういうケースがすでにある。年商1000万円以上をあげる宮崎県都城市の環境グッズ販売会社「ハルカファミリー(http://www.harukafamily.com/)」社長は小学生の丸野遥香である。彼女は国連の会議で演説も行っている。さらに、京都の同志社中学の藤林大地は、「第二のマット・セト」と呼ばれるほどのトレーダーとしての才能を認められている。村上龍はこうした現状をよく調査しただけであり、想像力という点では、秋本治に及ばない。秋本治は『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の中で、サイバー・ビジネスで活躍する小学生や高齢者、ネットを使って世界中と取引をする駄菓子屋、さらにITにおけるインド人の活躍を一九九六年初頭の段階で描いているし、また、
映画『ラブアンドロイド・チェリー(Cherry 
2000)』(一九八六)よりは遅かったものの、ビルド・アップした身体を持ちながら、『ときめきメモリアル』の沙織にしか恋愛感情を抱けない格闘家の男も登場させている。さらに、手塚治虫は、予言の宝庫『鉄腕アトム』の中で、ある惑星では、人間が滅亡し、その代わりに、「ロボイド(Roboid)」と呼ばれる自己増殖するロボットが生活している物語を描き、しかも、ロボイドの社会では本やノートではなく、DVDのようなメディアが使われているだろうと予測している。手塚治虫がこれを一九六五年に書いていることは驚異的である。秋本治にしろ、手塚治虫にしろ、新たなメディアの登場が認識を変えるという意識に基づいた方法をとりいれたマンガ家である。性を描いた作品を参考にすると、村上龍の方法の古さが強調される。短編集『トパーズ』の作品では、女性の性的快楽・満足を男の性的快楽・満足、すなわち勃起・挿入・射精の付随あるいは変種として描かれている。村上龍は性を十九世紀的な蒸気機関として把握しているのだ。二十世紀はエジソンによって表象される電気の世紀である。スチーム・パンクのように、古さを方法にしているわけでもなく、十九世紀的枠組みに依存していては、新たな方法を提示できるはずもない。結局、村上龍が時代と共に生きているのは、題材だけにすぎない。
 村上龍の姿勢がいかに不十分であるかは、デヴィッド・ボウイを見れば、明瞭になる。デヴィッド・ボウイは、二〇〇〇年八月に、ヤフーから「オンラインのパイオニア」として表象されている。ボウイは、かなり早くから、公式サイト「bowienet(http://www.davidbowie.com/)」を開設するだけでなく、マイクロソフト社を通じて、新曲を配信するなど、ネットを積極的の音楽活動に取り入れていた。かつては、あまりにスタイル、「方法」をアルバムごとに変えるため、節操がないと揶揄されたこともあったが、それは時代と共に生きる姿勢の表われである。「自分の考えが変わったのか、それとも最初から嘘をついていたのか、それすらもはっきりしません。みんなが私の言うことをあれこれ真面目にとりあげていますが、あんなものにたいして意味もないのになと私は思っています」。まさに自分自身を消耗品として扱ってきた。どんなにスーパースターになっても、時代をつくる気はなかった。ボウイは、二十世紀を完璧に表象していたアンディ・ウォーホルとは違い、あくまで二十世紀と共に生きる姿勢を貫いている。二十世紀はウォーホルのものだった。二十世紀においてウォーホルを超えることなど誰もできない。「ロック・スター以上にファンの子供たちの方がはるかにセンセーショナルです。ロックというビジネスは、いわばそういう子供たちの影にすぎません」と告げる彼の時代の変化の兆しをつかむ能力は、「デヴィッド・ボウイ債」を発行しているように、村上龍よりもはるかに上であろう。しかも、「方法」があるため、必ずしも、古びていない。さらに、ボウイは実力がありながらも、運がなかったり、トラブル続きのミュージシャンを積極的に取り上げている。その代表は、イギー・ポップだろう。イギー・ポップと組んでツアーを行ったり、『レッツ・ダンス』で彼の「チャイナ・ガール」をわざわざカバーして印税が入るようにしたこともあった。片方の眼が義眼であるボウイは、イギー・ポップのケースだけでなく、全般的に、共作において、能力を発揮する。「デヴィッド・ボウイ」は、その意味で、集団的匿名であり、決定不能性にある。その上、ボウイは「ユーモア」の重要性を認識し、「私にはユーモアが足りない。私に必要なのはユーモアなんだ」と言って、映画『ニューヨーク恋泥棒』に出演している。自己増殖するいかなるシステムにもバグがないとは言いきれないという前提から求められた方法が倫理であるとしたら、最後の方法はユーモアである。ユーモアは、今、世界的に最も求められている他者との「共生」の鍵でもある。一九八〇年に、YMOがスネークマン・ショーとの共作『×∞増殖』を発売したのは、極めて示唆的である。笑いの増殖を彼らは目指していた。『ニューロマンサー』に影響されて、『ニューロマンティック(Neuromantic)』を発表した高橋幸宏がユーモアへの傾倒を特に示していたのも称賛しなければならない。そう考えると、ボウイは非常に二十世紀的なミュージシャンである。
 二十世紀的であること、ならびに二十一世紀を予感させることを評価しなければならない。今を生きているとしたら、そこからしか出発できないし、それを抽出しつつ、相対化するほかない。極限化するのも困難な時代である二十世紀がいかなる時代なのかを体現するには、時代に対して表象する必要がある。十九世紀の人々には二十世紀を生きている人々とはまったく別の困難があった。それを、二十世紀から見て、非難することはたやすい。二十一世紀の人々が二十世紀に対する場合も同様だろう。十九世紀の人々が前世紀に対してできなかったように、二十世紀に生きながら、前世紀に居直ることは怠慢でしかない。
 十九世紀は、ダーウィニズムの影響もあって、人間がいかに動物であるかが問われた。しかし、二十世紀では、人間がいかに機械であるかが問題になっている。人間だけが機械なのではない。生物すべてが機械なのだ。AIBOが示しているように、動物もあまりに機械的なのだ。この場合の機械はエレクトロニクスに基づき、自己増殖能力を持つ生成を指す。ヒトゲノム・プロジェクトは二十世紀的試みである。ヒトの遺伝子情報を解読することは、いかなる言語でヒトは書かれた機械であるのかを探ることだからだ。その意味で、従来の認識で把握しようとすると、それは生物であるとも、機械であるとも言えない決定不能性がある。高橋昌一郎が『ゲーデルの哲学』で紹介する「人間機械論争」における機械はあまりに十九世紀以前のイメージにとらわれすぎている。ソフト同士の相性の悪さによってOSがフリーズを起こすなどという時代の機械とデカルトの機械論やマルクスの機械論に見られる機械とは意味合いが違う。二十世紀が最も自己増殖したものは「世紀」である。十九世紀までは、「世紀」というキリスト教的時代区分は世界的に広まっていない。三つ葉のクローバーを踏みつけると、その子孫は四つ葉以上になる。牛の餌にするため、十字架をイメージさせる理由で幸運の象徴とされている四つ葉のクローバーがこうしてつくられ、自然に増殖し、現在では、三から十くらいまで葉を持つ種類が確認されている。サティは『ヴェクサシオン』について「このモチーフを連続して八四〇回繰り返し演奏するためには、大いなる静寂の中で、真剣に身動きしないことを、あらかじめ心構えしておくべきであろう」と言ったが、二十世紀は四つ葉のクローバーのような気軽に自己増殖する機械にほかならない。こうした二十世紀において、自然と人工の明確な区別など厳密になればなるほど、困難になる。
 ジョイが懸念する自己増殖能力を持ったウィルスは、ネットではコンピューター・ウィルスとしてすでに誕生している。ウィルスは、FDやネットワークを通じて、コンピューターの間を勝手にコピー増殖していくが、特に、ネットを使って自己増殖するタイプをワームと呼ぶ。マイクロソフト社のソースコードを盗み見たとされるハッカーが使った「QAZ.exe」も「トロイの木馬(Trojan horse)」と呼ばれるワームの一種である。かつてはウィルス作製には高度の技術力が要求されたが、今は、それほど技術がなくても容易に作れるようになっている。二〇〇〇年五月、十二時間程度で世界中に蔓延したマクロウィルス「I LOVE YOU.vbs」の製作者として知られるオネル・デグスマンは、「技術は全部インターネットで学んで、ネット仲間とのチャットで磨いた。学校で教わった知識なんて10%だけだ」と言っている。チャットや掲示板自身がグリッド・コンピューティングというわけだ。彼はフィリピンのコンピューター単科大学の学生だったが、「パスワードの盗用方法」という卒論を書いたために、卒業できなくなり、あのウィルスのプログラムに「学校に行くのは大嫌い」と書いている。彼のウィルスは、二〇〇〇年五月、わずか二日間で、四千五百万台のコンピューターに感染したと見られている。さらに、自己増殖する際に、進化するタイプのウィルスも開発されているし、著名なハッカーのマークUは、技術は明かさなかったが、ルーターを外部のコンピューターから操作できることを報告している。「教科書というものは、ある程度の安定性を持った、たよりがいのあるものだ。無視しないほうがよい。しかし、絶対なものと信心するものでもあるまい。大事なのは、自分がかしこくなることのほうであって、教科書にしたがうことではあるまい。もちろん、自分がかしこくなるのに役だちやすい、教科書のほうがよい。しかし、それには個人の相性もあって、きみの学校で使っていない教科書が、きみに向いていることもある。そんなときは、きみを教科書にあわせるより、教科書をきみにあわせたほうがよいと思うんだ」(森毅『教科書だって単なる一冊の本にすぎない』)。
 自己増殖性は文学活動にも影響を与えることになる。藤子不二雄(藤本弘=安孫子素雄)やヱラリー・クイーン(マンフレッド・B・リー=フレデリック・ダネィ)のように、文学作品の制作において集団的匿名性がより強くなっていくだろう。それどころか、匿名の個人による連合体がすでに数多く存在する以上。ネットを通じて知り合った人々が連帯して、チャットや掲示板のつもりで、作品をつくることが当たり前になる日も近いに違いない。IT革命は国内と国外の区別も曖昧にしている。電子メールには、国際電話料金がかからない。しかも、一度に、すなわち一回分の料金で、何人もの相手に送信できる。電話や郵便ではこうはいかない。さらに、チャットを進化させたICQ(=I seek you)というソフトを使えば、ネット上で、それをインストールさえしてあれば、いかなる地域にいる人とも、自由にボイス・トークができる。むろん、国際電話代はまったくかからない。ICQはイスラエルの「ミラビリス社(http://web.icq.com/)」が開発したコミュニケーソン・ツールであり、ユーザーは指定されたICQサーバーを仲介することで、希望する登録相手の接続の有無を確認でき、さらに、先の一対一のチャットだけでなく、ファイルの直接送信など多様な通信方法が可能である。匿名の個人である以上、その匿名性は可能な限り、保護されなければならない。そのためには、暗号の開発は必要条件である。「九州工業大学知識工学研究室(http://www.know.comp.kyutech.ac.jp/)」が開発している「ステガノグラフィ(Steganography)」という技術がある。ステガノグラフィは、コンピュータ・データに関する「電子あぶりだし技術」である。三原色の性質を利用して、他人に見られたくない秘密情報を何か別のダミーデータ(封筒)の中に埋めこみ、その秘密の存在そのものを見えなくしてしまう技術である。秘密情報を取り出すには、三原色の性質に基づいた鍵のようなプログラムを使う。現段階でさえ、編集者が作家にかなり手助けをしていることを考えれば、すでに集団的匿名は行われている。近代以前の芸術作成では、むしろ、匿名が常識だった。十五世紀初頭になって、ヤン・ファン・エイクが書名を作品に記し、アルブレヒト・デューラーが歴史上初めて自画像を描いた。芸術家は、その瞬間、誕生した。インターネットが急速に普及し、グレン・グールド的理想、すなわち匿名の個人と個人の共時性が機能している今、匿名性が別の姿で蘇っている。マクルーハンはテレビ電話について「電話にとって代わるなら、世界は地球規模の劇場となる。すると教育、娯楽、仕事の境目は消える」と言ったが、インターネットはまさにそれである。公開されている作品に、Linuxのように、まったく面識のない世界のどこかに住んでいる人々が手を加え、発展させていく。TRONよりも、Linuxのほうが評価されるのは当然であろう。産学協同のトロン協会が十九世紀的であるとすれば、集団的匿名性に基づく
欧米のLinux Communityは二十世紀的である。IT産業に携わって、一躍億万長者になった「.com millionaire」は、かつてのブルジョアのような生活を求めていない。彼らの生活スタイルは、むしろ、質素である。RVを自分で運転し、ジーンズにTシャツを着て、ハイキング・シューズを履く。その方が実用的だし、第一、coolだ。彼らは、「bourgeois
bohemian」、その頭文字をとって「BOBOS」と呼ばれる。彼らは、ギラギラとした野心によって成り上がったわけではなく、趣味を楽しんでいるうちに富裕になったという意識が強い。ITには、「エデュテインメント(edutainment)」という分野がある。educationとentertainmentを掛け合わせた言葉であり、ゲームで遊ぶように学習できる教育ソフト、すなわちCAI(Computer
Assisted Instruction)やその分野を指す。二十世紀に娯楽や気軽はふさわしくても、野心や覚悟は似合わない。アインシュタインのように舌を出したポートレートこそ望ましい。二十世紀の決定不能の現実は主役も脇役もなく、ただ端役だけが存在する世界である。英雄である必要も、英雄に見える必要さえない。マリリン・モンローは自分を指すとき「we」を使っていたし、「他者の言葉と心の翻訳者」アレック・ギネスは自身を「he」と呼んでいたが、映画俳優たちは二十世紀という時代を体現している。作品の内部と外部はより曖昧になり、ハイパーリンクをクリックすれば、思いもかけない誰かの別の作品にたどり着くといったように自己増殖した集団的匿名性はどこまでも進んでいく。
 グローバリゼーションが進めば進むほど、内部と外部が曖昧になる。ランボーは「私とは他者である」と言ったが、他者は、そのため、私ではないとも、私であるとも言えない生成である。他者が私を拒絶する恐るべき懐疑者である視点は、外部と内部が明確に区分されていて成り立つ。これは十九世紀的問題設定であろう。二十世紀の他者は、むしろ、私を困惑させる。二十世紀では、私も、他者も決定不能性にある。他者も自己増殖する。私にとっての最大の懐疑者が私自身でさえある。自己実現すべき方向性に向かっていたら、その目標自身が私に懐疑を差し向けることは、自己が決定不能である以上、ありうる。十九世紀的問題設定になれている私は、その時、困惑せざるをえない。しかし、二十世紀においては過酷なニヒリズムに耐えるのではなく、決定不能性をエデュテインメントすることほうがふさわしい。外部と内部の境界が曖昧になっていく時代においては、デカルト流の方法的懐疑の代わりに、方法的決定不能性や方法的自己増殖が使われるべきだろう。
 そうなれば、作品だけでなく、サイトのデザインを含めて評価されることになり、編集者や校正者の能力がより要求される。「ぼくは活字メディアで仕事をすることが多かったが、本の売れ行きには、出版社のイメージとか、販売のスタイルとか、それこそ世間の中での存在様式のアレンジがあるのだが、本そのものをとっても、内容によって売れたり売れなかったりするものではない。いや、内容というものが、本に含まれている活字情報をさすものではない、と言うべきかもしれない。装丁や造本、そして本文のレイアウトを含めて、人がその本を手にとったときの感じそのものが内容なのである。もっと言うなら、その本が書店のどのあたりにおかれ、どのようにして売られているかまでが、本という商品の内容かもしれないが、そこまでは問わない」(森毅『編集の時代』)。ネットでは、「そこまで」問われる以上、editorの重要性がより認識されている。出版は編集、校正、印刷、運搬、販売というプロセスに基づいている。作家は、ときとして、搾取者である。ワープロやパソコンの使用が作家にとって書くことを変える。朝日新聞築地本社が、一九八〇年、NELSON(高度電算写植組版システム)を導入して、編集効率を飛躍的に向上している。出版を変えるのはこうした新たなテクノロジーの導入である。ドナルド・E・クヌースが考案したフリーかつオープンなソフトのTeXにより作家はレイアウトを含めて完璧にデザインできる。この種のソフトに無関心でいるとすれば、美意識が欠落しているだけである。電子メディアが登場してきたのは、一九七〇年前後であり、その発達と文学的流れは連動している。一九六九年にアメリカ国防省高等研究開発局がパケット交換と分散処理のネットワークARPANET(Advanced
Research Project Agency Network)を開設し、七〇年代には、Eメールやファイル転送、遠隔ログインが生まれている。と同時に、一九八三年ごろまでに少しずつ開発されたLAN(Local Area
Network)とARPAが、軍のネットワークMILNETを分離する形で、八四年から接続された。当初は、アメリカの政府や研究機関しか使えなかった。八四年には日本でもJUNET(Japan
University Network)が大学研究機関の間で接続されている。八九年に、ヨーロッパでWWW(World Wide Web)が開発され、東西冷戦が終わった九〇年にアメリカ科学財団NFSがNFSNETをARPAに代わって、使うようになり、これが現在のインターネットの基礎となった。九〇年代に入ると、民間のプロバイダーが登場し、個人でも使える時代に突入した。Web時代では、すべてがプリンスのようになる必要はないとしても、作家は自分でレイアウトを含め一切を考えられ、これまでになく「商品としての編集者」であり、「商品としての校正者」である現実に直面することになる。
 日本で出版されている文献・書籍に関して国立国会図書館の「Web-OPAC(http://opac.ndl.go.jp/index.html)」や「国立情報学研究所(http://www.nii.ac.jp/index-j.html)」、「Books.or.jp(http://www.books.or.jp/)」があるが、研究用にとどまらず、「ナップスター(http://www.napster.com/)」──残念なながら、一部有料化に応じた──のように無料配信の文学出版社も登場する可能性は非常に高い。ITの急速な拡大は公開性に基づいている。グーテンベルクの印刷機の登場により起源化される印税や著作権の制度は、ホームページによって、変化せざるをえない。自己増殖が進む中、オリジナルが決定不能になってしまうからだ。現在でも、事実上、雑誌の収益の多くは広告収入であるが、ほかの書籍にも広告が掲載される状況になるかもしれない。そうでもしない限り、文学作品を流通させるのが難しくなっているのは確かである。携帯電話の普及により、消費動向が変化している。若年層で、通話料の支払いのために、ほかの消費を差し控える傾向にある。印刷物が消えることはないとしても、ITは出版業界の存在意義を変えている。売れるもと売れないものとの二極化が進み、売れないものはネット上でよりゲリラ的文学活動を行い、リトル・マガジン化するだろう。実際、著作権の切れた作品を「青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)」が無料公開しているし、「パブリ(http://www.paburi.com/)」では、絶版・品切れ状態の文庫を閲覧・販売している。スティーヴン・キングは、最新作をネットで販売しているが、村上龍やいとうせいこうなどは、採算はとれていないものの、オンデマンド出版を中心に同様の試みを意欲的に行っている。彼らはネット上で発表した小説を後に改筆・補筆して、単行本として出版することが多い。無名作家が中心とはいえ、ネットでのみ知られ、経済的にうまくいっている作家もいる。ホームページやメール・マガジンで、一部を公開し、料金を払えば残りを見られるというシステムを採用している。しかし、やはりネットでは、無料公開・ボランティアが望ましい。ネットは匿名の社会であるため、マニアの口コミ情報も──その反面、「REUTERS(http://www.reuters.com/)」から「DRUDGE REPORT(http://www.drudgereport.com/)」まである世界なので、真偽を見極める能力が要求される──重要である。秀和システムの『標準パソコン用語事典』によると、「人柱」と呼ばれるマニアがいる。危険覚悟で、クロックアップや設定変更、機体改造に挑戦して、その体験をネットで公開し、後に続く人たちにとって貴重な情報源になる。ただ、ときには、パーツだけでなくパソコン本体も壊れてしまう危険性もあるため、その犠牲的精神から人柱と称えられている。こういう状況を考慮すると、オンラインの文学も無料配信の流れになっていくだろう。
 コンピューターの増殖性を用意したのはノイマンの公開性への意志である。ノイマンは新たな規範を生み出すのではなく、新たな組み合わせを考案するタイプの独創性を持っていた。ノイマン型コンピューターには新たな発想はない。ノイマン型コンピューターは、制御装置・演算装置・主記憶装置・入力装置・出力装置・の五つの要素からなり、プログラム内臓方式・逐次処理方式を採用している。コールドスタインほかスタッフとフォン・ノイマンが既存のものをうまく結び付けただけである。しかし、そこに独創性がある。何をどれとどのように結びつければよいかというところに積極的な模倣への意志が働いてたのだ。彼の最大の独創性はノイマン型コンピューターの特許をとらなかったことだ。この公開性によりコンピューターは普及していく。
 確かに、オンラインの作品は、第三者の目を通していないせいもあって、書店で売られている本よりも質が高いとは言い難いが、こういう動きによって日本文学やアメリカ文学、ナイジェリア文学という呼び名は無効になる。ある一つの言語だけを使っているかもしれないが、多言語を用いて作成された作品も数多く登場するだろう。実際、インドだけでも八百以上の言語があるように、アジアは非常に言語が多様であり、また使われている文字の種類も豊富である状況に対応するために開発された「超漢字(http://www.chokanji.com/)」は十七万文字を表記できる。しかも、IBMとアップル社、マイクロソフト社が中心になって世界の文字や記号を標準化し、普及するために、ユニコードを提唱したことにより、多言語をさらに自由に使えるようになっている。このプロジェクトは、現在、「ユニコード(http://www.unicode.org/)」が推進している。Mac OS]にしても、Windows 2000にしても、TRONほどではないけれども、多言語による表記が可能になってきているし、「Global Office(http://www.unirec.com/)」のような多言語をサポートする応用ソフトを使えば、より広範囲の言語をカバーできる。さらに、「文字鏡(http://www.mojikyo.gr.jp/)」を使えば、現在では使われなくなった文字まで、扱うことができる。「WEBCAST PILOT(http://www.webcastpilot.com/japan/)」のサイトを経由すれば、世界中のテレビやラジオに触れることができる。また、ネットは言語の学習や口承文学の保存・普及にも、音声も写真、動画をとりこめるため、適している。アイヌ語について言えば、「アイヌ語ラジオ講座(http://www.stv.ne.jp/radio/ainugo/)」「Entrance Ainu 
Language(http://ramat.ram.ne.jp/ainu/)」「浅井タケ昔話全集!!(http://www3.aa.tufs.ac.jp/~mmine/kiki_gen/murasaki/)」「白老アイヌ語単語集(http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/6362/)」あたりが参考になる。マルクス主義者の作品もさまざまな言語で、「Marxist Writers
Archive(http://www.marxists.org/archive/index.htm)」を通じて、読むことができる。文章を書くのが苦手でも、心配はいらない。『自分伝説』という自分史執筆支援ソフトが一万円を切る価格で「
能開生涯学習研究所(http://www.chuokai-miyagi.or.jp/%7Enoukai-s/bunsho.html)」から販売されている。生年月日を起点にして二五〇〇ほどのエピソードが盛りこまれた歴史年表に自分自身の出来事や事件を書きこみ、さらに小学校入学や卒業、就職などの各ステージに応じて用意されている一から十六の質問に答えると、データが整理され、ストーリーが構成された後、先のエピソードで肉付けされて自分史が完成する。しかも、映像をとりこむこともできるし、デジタル・ブックだけでなく、製本まで可能である。『自分伝説』以外にも、自分史作成ソフトは販売されている。これらを使えば、誰でも、簡単に、自分史を書ける。そういう文学は、オンライン文学とかネット文学、サイバー文学、ハイパー文学、YAL(Yet Another
Literature)などと呼ばれるのかもしれない。もはや「いかに書くか」ではなく、「いかに伝えるか」が問われる時代に突入している。編集者はすでにそれに気がついていた。匿名作家が、インターネットを通じて、全世界に公開した作品は次のようなものになるに違いない。サティの『ヴェクサシオン』をBGMに、DNAの二重らせんが一組登場したかと思うと、次々と増殖し、DNAの髪の毛をした(どこかクレージー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンにも見える)フランク・ザッパになる。髪の毛のDNAをパソコンに取り込むと、設定環境に応じて増殖・変化し、それをサーバーにアップロードすると、そういうデザインになる。DNAの二重らせん構造を背景に、七色のフォント、手話・音声出力にも対応し、とりあえず一二三の言語を用いて書かれ、カーソルが中央に張られたナイスなアナ・ニコル・スミスの写真をクリックすると谷崎潤一郎の声が流れ、左上のウナギのマークをクリックすると別ウィンドウでエリック・ムサンバニのシドニー五輪での雄姿が再現され、ページの下にはカタリーナ・ビットが参加している人権に反するHPの監視サイト「Web-Gegan-Reichts.de(http://www.web-gegen-rechts.de/)」とリンクし、タイトルのすぐ下に、「水谷画伯イラスト展(http://enokidoichiro.com/kana.shtml)」に見られるようなJOQRアナウンサー水谷加奈の感動的なイラストのJavaScriptによる動画、このサイトへの参加・変更を呼びかけるメッセージと共に、同じく「世界三大美女の一人」を自認する藤木千穂の「ちぽりん写真館(http://www.joqr.co.jp/people/html/tiporin.html)」のバナー広告のおまけまでついているというのが原型であるが、内容はことあるごとに更新される。ここには新たな倫理が体現されている。そして、この集団的匿名の作品を見た誰かから添付ファイルのついたこういうSubjectのEメールが作者にきっと寄せられるだろう。「ГОТОВ ЈЕ!」
 決定不能性、自己増殖、ポスト国民国家、ポスト小説、二十世紀──Amerikanisches,
Allzuamerikanisches…
 
This is not America, sha la la la la
 
A little piece of you
The little peace in me
Will die [This is not a miracle]
For this is not America
 
Blossom fails to bloom
This season
Promise not to stare
Too long [This is not America]
For this is not the miracle
 
There was a time
A storm that blew so pure
For this could be the biggest sky
And I could have
The faintest idea
 
[For this is not America, sha la la la la, sha la la
la la, sha la la la la
This is not America, no, this is not, sha la la la la]
 
Snowman melting
From the inside
Falcon spirals
To the ground [This could be the biggest sky]
So bloody red
Tomorrow's clouds
 
A little piece of you
The little piece in me
Will die [This could be a miracle]
For this is not America
 
There was a time
A wind that blew so young
For this could be the biggest sky
And I could have the faintest idea
 
[For this is not America, sha la la la la, sha la la
la la, sha la la la la
 This is not
America, no, this is not, sha la la la
 This is not
America, no, this is not
 This is not
America, no, this is not, sha la la la]
(David Bowie & Pat Metheny  "This Is Not
America“)
 〈了〉